リタ・タルマン『ヴァイマル共和国』長谷川公昭訳(白水社文庫クセジュ、2003年)を紹介します。

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 ところで、今年は衆議院議員総選挙があります。投開票日は11月7日との予定も報じられています。

※衆院選11月7日投開票で調整 岸田氏、10月14日解散の見通し(毎日新聞、2021年10月1日)
https://mainichi.jp/articles/20211001/k00/00m/010/061000c

 近代日本の歴史を振り返りますと(日本にかぎったことではないのですが)、民主主義体制を維持、発展させていくことがどれだけ難しかったか、という事実に突き当たります。と同時に、民主主義体制の崩壊は、案外簡単に起きてしまうことにあらためて驚かされます。いまさら、との感もありますが、この感覚がマヒしてしまってはオシマイなのではないかとも思うのです。

 むろん議会政治、あるいは複数政党による政治だからといって、それが民主主義だとはかぎりません。だからといって、議会制下の政党以外の何かを救世主とするような誘惑には気をつけなくてはなりません。歴史的にみて、問題が大きいのは後者の誘惑に負けたときです。ただし、政党政治と民主主義を結びつける努力を怠っていると、政党以外の何かという誘惑は魅力を増すばかりです。

 やはり民主主義体制の崩壊は自然現象ではないわけで、取り返しのつかない事態を起こすも起こさないも私たち次第のはずです。

 そこで、今回は、たまたま弊店の在庫で見かけた、リタ・タルマン『ヴァイマル共和国』長谷川公昭訳(白水社文庫クセジュ、2003年)を紹介していこうと思います。以下、頁数のみの引用は同書からです。

ヴァイマル共和国

 ヴァイマル共和国とは、1919年に成立した第一次世界大戦の敗戦国ドイツの政治体制です。この起源は、敗戦間近の1918年11月9日のドイツ革命にさかのぼります。

 このドイツ11月革命がはらんでいた深刻な対立のうち、社会主義の解釈をめぐるものは、発足したばかりのヴァイマル共和国を悩ます問題となっていきます。

 そもそもこの問題は、第一次世界大戦への対応をめぐって深刻化したものでした。社会主義改良主義的な社会主義者は、権力機構に食い込みつつ体制内での改革を求めるがゆえに、国家そのものの危機に過敏でした。それがためにドイツ社会民主党をはじめとする各国の改良主義的な社会主義政党は、自国の戦争に積極的に協力し、入閣者も出すようになります。一方、大衆の自発的行動を重視するローザ・ルクセンブルクら急進左派の革命運動家は、そのような理念に基づいた反戦運動を展開していきます。それがため、ローザ・ルクセンブルクは逮捕され、「公共の治安」を名目としてベルリン女性監獄に保護拘禁されます。彼女の拘禁は、1918年11月9日のドイツ革命まで続きました。この革命で帝政は廃止され、翌日に社会民主党と独立社会民主党からなる人民代表政府が成立することになります。

 こうして自国の防衛のために進んで戦争に協力した社会民主党の主流派がヴァイマル共和国の新体制を担うことになりました。他方で大衆の自発的行動に基づく平和運動を志向した革命家のローザ・ルクセンブルクを中心とするグループに対しては、社会民主党を基盤とす新政府からの弾圧が待っていました。大衆の自発的行動をを重んじるがゆえに、それを促すべく、急進左派勢力は武装蜂起に踏み切ります。そして政府が差し向けた兵士にローザ・ルクセンブルクが殺害されたのは、新政府が発足した1918年11月10日からわずか2が月ほど後の、1919年1月15日のことでした。

 一方で、敗戦国となった上に新政府発足後の政情が不安定であったことは、右翼運動の過激化も招きます。こうした運動の中から、1933年にヴァイマル共和国を葬ることになる独裁者が現れます(この人物にふれると、ブログの分量が大変なことになるため、いったん措いておきます)。このように左右両翼に激しい対立の火種を抱えていたヴァイマル共和国は、どのように安定をつかみ、そしてどのように崩壊したのでしょうか。

 タルマンは、ヴァイマル共和国が本来すべき人々の間にまで、この体制への嫌気が広がっていったという事実を指摘します。外から崩壊させられたことと同様に、内側から壊れていった歴史に目を向けるタルマンは、次のように述べています。

 「それでは共和制が、本来的な支持勢力にまでいや気をいだかせるようになったのはなぜかといえば、根本的には1919年以来、一貫して続いた社会民主党とドイツ共産党との致命的といっていい対立関係から、左翼を支持する選挙民が、どのような投票行動をしていいかわからなくなっていたことである。」(156頁)

 社会主義勢力内での対立は、第一次世界大戦のころと同様に、ヴァイマル共和国期でも激しいものでした。ヴァイマル共和国期の争点は、ハイパーインフレーションへの対応としての財政再建とその後の財政運営をめぐってのものでした。改良主義的な穏健左派は経済の建て直しのためならばと、保守勢力や軍部との妥協を選びがちでした。一方で急進左派は、保守勢力へ妥協を重ねる穏健左派に対する攻撃に傾斜していきました。タルマンのいうように、ヴァイマル共和国へ嫌気がさした理由は何か、と問われれば、上記の社会主義勢力内の執拗な対立を挙げることは、至極当然な気がします。

 

ヴァイマル共和国▲64頁

 ただし、穏健左派の言い分にも、一定の理がありそうです。というのも、1920年代半ばからのヴァイマル共和国の安定は、当時の国際関係と密接に結びついているからです。と同時に、各国の国内体制の性格が、国家同士の関係性を形づくっていたともいえます。第一次世界大戦から第二次世界大戦までの歴史は、1920年代の西欧・アメリカ・日本の協調外交の時代を挟んでいます。そして、そのような国際関係の安定の下、それら各国で健全財政を掲げた政党政治が発展した時代でもあります。ヴァイマル共和国の足跡もそうした国際関係史の中の一幕としてとらえることもできます。嫌気がさした選挙民の期待に応えるためという理由で、こうした国際―国内両面での安定(※)を壊していいのか、という政党政治家が抱える葛藤を振り返ることは、今日より求められているのかもしれません。

(※)自国通貨の安定のために財政に制約をかけて、その枠内で政治を運営される政党政治と、そのことと密接に関係する軍備縮小を通じた各国間の協調との合わせ技で、1920年代の「安定」は成り立っていました。問題となるのは、無用な軍備拡張を抑制するこの「安定」が、失業問題に対する無為無策や福祉行政の貧弱さをも伴っていたことです。1930年代の日本で、「国民生活の向上」を掲げて対外侵略を容認する議論が出てきたことは、1920年代状況に基づく「国民国家システム」の機能不全といえるのではないでしょうか。このコースに足を踏み入れた日本が推し進めた軍事行動は、第二次世界大戦の勃発を招いた重要な要因だと考えられます。

 そうしたこと考えるにあたって、まずはタルマン『ヴァイマル共和国』で基礎的な知識を得ることが重要に思われました。同書にかぎらず、白水社文庫クセジュのシリーズは便利な一冊が多いのですが、意外に新刊書店でお目にかかれないということもあります。古本屋をご利用の際は、ぜひこの黄色の新書に注目してみてください。

小野坂
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