アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』和田春樹・和田あき子訳(平凡社、2013年)が入荷しました~忘れられた「小農経営の環境社会主義」

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 ところで、アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』和田春樹・和田あき子訳(平凡社、2013年)という本が入荷しました。この本は、カバーのあおり文によると、次のような内容とのことです。

チャヤーノフ

「世界社会主義革命が勝利し、家庭の台所廃絶法によってブルジョワ社会の最後の毒素が一掃されんとする一九二一年から、主人公クレムニョフは一九八四年のモスクワにタイム・スリップする。そこは、さらに農民革命を経たあとの世界、小農経営に立脚した、実現したユートピアだった。素晴らしく進歩した技術、発展する文化…けれどもそれは、主人公を満足させる社会なのか?オーウェルとは別の、今こそ読まれるべき1984!」

 全体主義国家の監視社会のディストピアを描いたジョージ・オーウェルの『1984』に対して、ユートピア(のはずの)「1984」にタイムスリップするのが、チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』だということなのでしょう。

1984

 著者のチャヤーノフについては、Amazon商品ページによれば以下のように記載されています。

「チャヤーノフ,アレクサンドル
1888‐1937。独自の小農経済理論により、ネオ・ナロードニキ派の理論的指導者として活躍した農業経済学者。農民経営の理論をまとめた『小農経済の原理』は、日本を含め、世界的に影響を与えた。第一次世界大戦下には農民の協同組合の組織化を推進、1917年ロシア革命がおこると土地改革連盟を組織して土地改革プログラムづくりにつとめ、その後も農業協同組合の中央機関の指導者として活躍した。スターリン体制下、1930年に逮捕され、4年後流刑に処され、さらに1937年再逮捕され、処刑された」

 チャヤーノフの足跡は、別のソ連史があり得たこと、そして、その可能性は無慈悲にも踏みつぶされたことをうかがわせます。

 ところで、ソ連の農業、といわれて読者の皆さまは何を思い浮かべるでしょうか。たしかに上記引用で、チャヤーノフの『小農経済の原理』は、「日本を含め、世界的に影響を与えた」とありますから、チャヤーノフのファンがいらっしゃることを信じております。しかしながら、共産主義体制のソ連が解体して30年以上経過した今日、何らの感慨もないとった答えも返ってきそうです。

 しかし、日本でも、ある時期までの農家出身の大学生にとっては、ソ連の農業は並々ならぬ関心を引く研究テーマであったと思われます。彼ら自身の生い立ちと、ソ連における農業をめぐる熾烈な政治や、農村社会の込み入った事情といったことが、何やら二重写しに見える、というのはそこまで突飛な話でもありません。

 そこで、チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』の紹介のためにロシア史を勉強しましたが、そんな付け焼刃の勉強でも、第一次世界大戦中の1917年のロシア革命、それに引き続く内戦と国際的な反革命戦争、経済復興の試みと一国社会主義路線の確立、そしてスターリン独裁の体制へといった一連の流れにおいて、食糧問題が一貫して重大な問題であったことがわかります。このように、ソ連史において農業の位置は、政治・経済の中心的な位置を占めていたのです。

 実は、そうしたことを明らかにしていった研究において、意外にも日本人研究者が先駆的な成果を挙げているのです。ソ連においては共産党政権の公式見解と対立する見解を提示することは困難でしたし、アメリカを始めとする資本主義陣営の国々でも、ソ連を非民主的で経済の自由もない独裁国だという先入観が強く存在していました。東西冷戦の現実は、やはり自由な研究を阻害していました。そのため、事実に基づいた着実な研究を進めていけるという意味での自由な環境は、むしろ第二次世界大戦後では国際政治を動かすプレイヤーではなくなった日本にあったのです。むろん日本にも、アメリカを重視する立場とソ連を重視する立場があり、熾烈な国内冷戦があったことは事実ですが、米ソ両国における研究とは異なった形で、独自の研究成果を発表できる環境にはあったのではないでしょうか。

 しかし、そういう経緯を紹介すればするほど、ソ連史の勉強にあたってのハードルを吊り上げてしまうかもしれません。ならばいっそ、ソ連の共産主義に対して云々するよりも、現在の私たちが直面している、自然環境の悪化と日本経済の行き詰まりといった問題との関係から、ソ連史を振り返るというのはどうでしょうか。この気候危機の問題に関わって、ソ連史における農業経営論の一系譜として、チャヤーノフの議論を若干なりとも振り返ってみたいと思います。

 「小農経営のユートピア」を描いた農業協同組合の指導者チャヤーノフは、国家による農業の一元化、および国家主導の農業と工業の分離に反対していました。経済の中央集権化に対抗したチャヤーノフの存在は、今日においてより重要性が増しています。というのも、20世紀の歴史が証明していますが、国家財政と企業の規模を大きくして、特定の分野の生産性を拡大することは、大量消費の社会とセットなので、環境負荷が大きいわけです。そうした形で達成される生産性の向上は、自然環境と人間の経済社会との間での物質の循環(物質代謝)が、人間側が自然から農作物や地下資源を搾り取り、さらには廃棄物を垂れ流す、という一方的なものになりがちです。

 そこで、こうした傾向に対抗する思想が、チャヤーノフのユートピアにあるはずだと思って勉強を始めてみました。そうすると、小規模な経営を支える組織的な基盤は何であって、そして農業と工業はどのように結びつくのかということが知りたくなりました。

奥田央

 そうなってくると、小説の『農民ユートピア国旅行記』だけでは、上記の点はわかりませんので、ソ連史の研究書にあたってみました。参照したのは、訳者解説でもふれられていた、奥田央・東京大学名誉教授の『ソヴェト経済政策史』(東京大学出版会、1979年)です。

 小規模な経営を支える組織的な基盤については、1922年のソ連の行政区画改革に関する説明の部分が参考になります。

 「戦争と内乱で壊滅的な様相を呈していた初期のソヴェト経済は経済的諸資源の最大限に合理的な活用による経済社会のあらたな改造を求めていた」ため、経済的地区区分についての研究が1921年頃から進められており、その流れで1922年4月の全ロシア中央執行員会幹部会で、従来の県―郡―郷の行政区画を変更し、「生産的原則に基づく新しい行政区画である州―管区―地区とする」という決定がなされました。上記の「州」は「工業、運輸、人口。自然的諸条件などを考慮した生産的コンビナート、さらにそれ相互での分業という観点から区画されるべき」行政区画とされました。奥田氏はここで、重要なのは最小単位である「地区化される郷」がどのように設定されたのかという問題だと指摘します。続く説明によれば、地区は「従来の郷より経済的に一層強固な単位」であるべきだから、大きなバザール村、鉄道の駅、波止場を中心に設定されたとのことです。

 小規模な経営を支える行政区画である、「地区」というものがあることはここまででわかりました。しかし、「地区」の中核となるもののうち、駅や波止場という交通の要所が列記されているのは、その経済的な重要性からいけばもっともなことですが、「バザール村」とは何なのでしょうか。もし「バザール村」が農業と工業を結びつける場であれば、チャヤーノフのユートピアがリアリティを持っていたというのも、ただのダジャレではなくなるでしょう。以下、「バザール村」についての説明を奥田氏の著書から引用します。

 「多くの農村のバザールには、農民に必要な『ありとあらゆる』、『決定的にすべての』生産物が出まわった。このような農村における小規模な定期市を交換の場とする農民の取引においては、その『引力』の圏内にある地域の生産者の多様な消費需要をみたす共通の場というバザールの性格に規定されて、交換の必然性は農業生産物と工業製品の双方におよんでおり、農民の小規模は工業的営業(クスターリ工業)による製品は後者の不可欠な一要素としてあらわれている」

 バザール村は農業生産物と工業製品の市場になっていたわけで、これが「地区」の中心的要素の一つであった、というところまでつながってきました。それでは「農民の小規模は工業的営業(クスターリ工業)」とは何でしょう?これこそが、農業と工業とが結びついた経営でしょうか。もう少しで、大量生産・大量消費とは異なる経済の仕組みが出てきそうです。

 これに関しては、奥田氏の著書では、1919年1月の消費協同組合中央連合が招集した評議会における、経済学者ニコライ・コンドラチェフによる報告についての記述が参考になります。

 まずコンドラチェフは、農民が農産物の工業的加工によって所得を得るべきだと主張します。続けて奥田氏によるまとめによれば、「第二に、とくに農産物加工の場合それは重要な特徴をもっている。すなわち加工には、油かす、ふすまなどの副産物が発生し、これが飼料用、施肥用の貴重な資源を提供する。したがって『農民経営は生まの形態で生産物を販売することによって、ふつうこれらのひじょうに貴重な飼料用、肥料用資源を奪われている』。『このことは、土地の疲弊、畜産の発展の抑止をうながさないわけにはいかず、したがって経営全体の発展をおしとどめる』。これが農民による加工の必要性の第二の理由である」とコンドラチェフが指摘したとのことです。

 コンドラチェフが述べたように農産物加工で発生する副産物が、飼料や肥料になるならまだしも、問題はそれら副産物が工場ではただの廃棄物として扱われることです。この問題は、しばらくして重要な展開をみせます。1920年代半ば以降の「農工結合体」論において、農産物加工で生じた副産物を火力発電の燃料とする構想が脚光を浴びたからです。こういう仕方で自然と人間との間の物質のやり取りがなされるならば、大量生産・大量消費の経済の仕組みより大分マシではないでしょうか。近年の環境社会主義の議論で大きく扱われてもおかしくないような気がしますが、そのあたりはどうなのでしょう?

 これが環境社会主義の文脈でチャヤーノフや「農工結合体」が言及されることはあまりないのです。今回紹介した、チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』の平凡社、2013年版所収の藤原辰史氏による巻末論文くらいしか見当たらないのです。

しかし、現実はスターリン体制での農業集団化と農工分離、そして「農工結合体」論者の粛清でした。しかも、「農工結合体」は、現在でも「忘れられた社会主義」の扱いを受けているようです。それはあまりにも惜しいことだと思います。

小野坂


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