日本基督教団出版局刊行の『交読詩編』を紹介します~ #あなたのつみあやまちはしまつされてあるか♪

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聖書の注解書

 今回は、キリスト教会での礼拝ではおなじみの本を紹介します。

交読詩編

 日本基督教団出版局刊行の『交読詩編』です。礼拝の冒頭、司会者と参加者で交互に旧約聖書の「詩編」音読する、といったように用いられます。

 私はある教会の礼拝で、詩編第51章に関する説教を聞いたことがあります。そのときに考えたことを若干ながら記したいと思います。この聖書箇所は聖歌417「あなたのつみあやまち」(”Have you been to Jesus”)など、5つの条から8つの聖歌が生まれた部分です。この部分を説教で扱うことにより、私たちが普段の礼拝で歌っているものが一体何なのかを伝えることができるといってよいでしょう。やはり、「わたしの罪は常にわたしの前に置かれています」(詩編51;5)。こう引用したのも、まさに私が、毎週歌っているものが何であって、そこにどういった意味が込められているのかを真剣に考えてこなかったからです。一事が万事、私はキリスト教のことなど少しもわかっていなかったのです。

交読詩編

 それでも、「あなたのつみあやまちはしまつされてあるか」とド直球の問いから始まる聖歌417は折にふれて思い出し、そして恥じ悔やんだものです。同聖歌中の表現では「イエスの血潮で白く」とありますが、そうなるどころか、自らの内から溢れ出る汚れた血を流している有様です(マルコによる福音書7:21-23)。この深刻さを現代社会の起源という問題に結びつけ、次につなげたいと思っています。というのも、道徳的に生きたくても生きられない仕組みについて考察してきた、キリスト教社会主義の先人たちが存在するからです。

 詩編第51章は「恐れ慄き」が主題です。このこととの関連で想起したのは、経済学者・文化人類学者として知られるキリスト教社会主義者のカール・ポランニー(Karl Polanyi)の1947年の論稿、「時代遅れの市場志向」です。この論稿は次のように始まっています。「機械時代の最初の一世紀が恐怖とおののきのうちに幕を閉じようとしている。人間がみずからすすんで、熱狂的なまでに機械の要求に服従した結果、この時代の物質的成功はすばらしいものであった」。

 19世紀半ばから20世紀半ばにかけての物質的繁栄が何をもたらし、その中で人間がどのように生き、かつ死んでいったのでしょうか。また、その歴史がどういった意味で「恐れ慄き」を伴うものであったというのでしょうか。「あなたのつみあやまちはしまつされてあるか」と聞かれて、「始末した!」と答えられる人がどれだけいるでしょうか。私を含めて、何を犯したのかすらわかっていないというのが実際のところではないでしょうか。ふと「第1コリント人への手紙」の第15章31節に「わたしは毎日死んでいます」と宣言する箇所がチラつくのですが、その通りにでもしないと「あなたのつみあやまちはしまつされてあるか」には答えられないような気がしてきます。おそらくは、まず始末すべき罪を知ること、これを日々の生活の指針にすべきということなのでしょう。

 以上、礼拝時に駆け巡った思いを書き連ねました。念のため述べておけば、上記は何もキリスト教を信じろと勧めるために書いたのではありません。旧約聖書の「詩編」という一種の芸術作品から広がる世界を紹介したく、書きました。キリスト教について調べる際に、このブログで扱った聖書箇所や聖歌を糸口にされる方が少しでもおられましたら幸いです。

小野坂

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