昭和39年新潟大地震の資料 /東京都大田区下丸子と千葉県船橋市で出張買取りでした。

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本日は、本と共に色々な資料が入ってきました。
持ち主様は新潟のご出身だったのでしょうか、
新潟に関する古い資料や古い写真とともに、1冊のファイルが。

昭和39年(1964年。東京オリンピックが開催された年。)に
新潟で大きな地震があったのですね、知りませんでした(新潟地震/Wikipedia)。
Wikiによれば、震源付近の自治体では震度6相当だったそうです。

(各写真の解説は、写真の裏側に書かれたメモ書きです。)

「万代橋西詰 中央署武道館の浸水・倒壊」

 

「新●(←文字読めず)交通車庫 信濃川右岸(東新●) うめたて地」

 

「白山駅プラットフォーム ならびに白新線の起ふく状況」

 

「昭和大橋 西側よりみる」

 

「万代橋西詰 噴出した土砂の搬出」

 

 

「附舟町附近の水害」

 

一緒に入ってきました「毎日グラフ 臨時増刊 1964.6.30『新潟大地震緊急詳報』」では、
こんなふうに地震の緊迫を伝えています。

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六月十六日午後一時二分、運命的な瞬間だった。グラグラッとゆれ動く大地。
そしてまっ黒な、太いキレツが走った。
倒潰する家屋、傾くビル、巨大な裂け目に落ちこんだ自動車、倒れかかる電柱と街路樹。
人々の口から恐怖の叫び声と悲鳴がもれたのは、
異常に長く感じられた五分間の振動が終わってからだった。
震源地にもっとも近い新潟市は”全滅”に近い惨状、市民はこの瞬間から
恐怖と不安のどん底に突き落とされた。

(中略)

地震についで市をおそったのは、もり上がった信濃川の水と、あちこちから起った火事だった。
信濃川をはさんだ下大川前と流作場では、民家も官庁もあっという間に浸水、
川のようになった道路を、家財道具を背負った人が右往左往して避難所をさがし求めた。

最大の火災は、市がほこる臨海工業地帯のガソリンタンク爆発だった。
昭和石油の四万五千キロリットル・タンク二基をはじめ、十二基のタンクがつぎつぎに誘導、
二日間にわたって燃えつづけ、十七日には民家に燃えひろがった。
浜松町の日本ガス化学工場のメタノールガス噴出、新潟港内に流出したガソリンに引火、
つづいて津波警報など”水攻め火攻め”といえるほどの災害がおそいかかった。
 

泥海のような町を、突っきって火災現場に到着した消防車も、かんじんの水がなく、
完全にお手あげ、もえ上がる炎をぼう然と見つめるだけ。
十七日からは破壊消防にのり出して、かろうじて延焼を防いだ。

倒れた家の前に、子供が毛布をかぶって眠る。
乳飲み子をかかえて途方にくれている母親、泣きながら両親を探している子供・・・
「これが新潟の町か、道も、家も家族もわからない」
とつぶなきながら放心した人たちが群がっていた。

(抜粋)

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これほどの甚大な被害を思うと、死者の数が26人に抑えられたというのは
驚異的にすら感じます。
しかしこういった過去の大地震の記録を読みますと、
日本という国は地震と復興の繰り返しの歴史なのだということを、改めて感じさせられます。


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