田中久重”からくり儀右衛門” 江戸の天才技術者 /東京都練馬区で出張買取りでした。


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今日は、いつもお世話になっている求人広告の代理店のかたが、
担当が代わったからとご挨拶にいらして下さいました。

お茶をしながら色々とお話をさせていただいたのですが、
どうやら今、求人広告は活況のようですねえ:shock:
募集している企業が非常に多く、リーマンショック前よりも好調になりつつあるのだとか。
へえ~~、私が想像していたよりずっと、今世の中は好景気なのでしょうか(驚)

新しい担当のかたもとっても良さそうなかたでホッとしました(^^)
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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こちらを読みました。

「小説 田中久重~明治維新を動かした天才技術者」童門冬二/集英社文庫

皆さまは、”からくり儀右衛門”こと田中久重(1799年-1881年)という人の名前を
ご存知でしょうか。
江戸時代の天才発明家で、82年の生涯を通じて様々な発明品を残しているのですが、
中でも有名なのが1840年代から1850年代頃に作られた、
からくり人形の最高傑作「弓射り童子(弓曳き童子)」と「文字書き人形」です。
この2つの人形は、YouTubeで見ることが出来ます。
人形のまるで人間のようななめらかで細かい動きや、複雑で精巧なからくり。
これが、木と糸とバネのみを使って、しかも江戸時代に作られたということを考えると、
見ていて思わず鳥肌が立ってしまうほどです。
田中久重 / 江戸の天才技術者からくり儀右衛門(YouTube)
(せっかちな方は、3分くらいから見てね :mrgreen:

そしてその田中久重の生涯を描いたのが、
前述の「小説 田中久重~明治維新を動かした天才技術者」です。
一気に読みましたが、・・・いや本当にすごいです。
何がすごいって、技術者・発明家として天才であるということももちろんなのですが、
「人の役に立つことを発明して、人を喜ばせたい」
という、彼が生涯を通じて抱き続けた純粋な思いに、胸を打たれてしまいました。

その「人を喜ばせたい」という思いは、彼がわずか9歳のときから始まりました。
自分が通っていた寺子屋で、
机を同じくする子供たち(彼らは貧しくて、勉強道具も満足に持つことが出来ない)に、
「硯箱を作ってあげたい」と思った久重。
9歳(!)の彼は、鼈甲職人だった父親の見よう見まねで(!)、
父親から借りた道具を使って硯箱を、
しかもただの硯箱ではなく、紐の捻り具合によって引き出しが開いたり閉まったりするという
「からくり」つきの硯箱を作りあげ、級友たちにプレゼントしたそうです!
もちろん級友たちは大喜び。そしてこのときに味わった喜びこそが、
発明家・田中久重の原点となります。

彼の天才ぶりを示すエピソードを一つ。
1840年代頃、久重は伏見豊後の花火大会で、一発の自作の花火を打ち上げています。
その花火は、
「見上げる見物人たちの前で、空に1隻の西洋軍艦が現れた。見物人たちはどっと声を上げた。
 しかしそれだけではなかった。軍艦が静かに地上に向かって落ちはじめた途端、
 軍艦の中から突然一発の砲声が轟いた。そして軍艦はその砲声と同時に火災を起こし、
 一瞬の間に燃え尽きてしまった。
 見上げていた見物人たちは声を失った。自分たちが一体何を見たのか
 信じられなかったからである。」
(「小説 田中久重~明治維新を動かした天才技術者」より)

す、す、すごすぎる・・・・・・(汗)
こんな花火、現代の技術をもってしても作れないのではないでしょうか・・!

久重は75歳になった明治8年(1875年)に、東京・銀座で工場(田中製造所)を設立します。
この田中製造所が、やがて今の東芝へと続いていくのです。


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