日本映画史上の大女優・田中絹代 その孤独な晩年 /東京都港区赤坂で出張買取りでした。


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2012/8/1に「山田五十鈴も高峰秀子も怖がった、大女優栗島すみ子」という記事を
書きましたが、その時に取り上げた成瀬巳喜男監督の「流れる」(昭和31年)を見てみました。

 

東京下町の芸者置屋では、表面の華やかさとは裏腹に、それぞれの女たちの
せちがらい世界が繰り広げられていた……。
花柳界に生きる女たちの姿を、成瀬巳喜男監督が淡々と、そして冷徹に描いた秀作。
原作は幸田文の同名小説。語り部は住み込み女中役の田中絹代で、女将に山田五十鈴、
その娘に高峰秀子、芸者役に杉村春子、岡田茉莉子など、さらには日本映画草創期の大スター、
栗島すみ子の久々の銀幕復帰と、そうそうたる女優たちの競演ではあるが、
そうした白粉の匂い濃厚な女たちの世界観を極めながらも、妙に派手にすることは避け、
むしろ抑えた演技で一貫させながらそれぞれの魅力や哀しみ、はかなさなどを
巧みに醸し出していくあたりは、やはり成瀬演出の真骨頂ともいえるだろう。(的田也寸志)

映画自体も、そして実力ある大女優さんたちの競演も大変見ごたえがあり、
素晴らしかったです!
そして私はこの映画で、日本映画史上に名高いかの有名な田中絹代さんを
初めて見たのであります。
田中さんは当時47歳で、しかも控えめな女中さんという役どころなので
なんの派手さもなく地味なのに、画面に現れた途端すぐに目が釘付けになってしまいました。
優しく穏やかで、品が良く、誠実で情深い女性を見事に体現しており、
その姿はいつの時代でも我々日本人が郷愁を感じてしまう
理想の「お母さん」像のような気が致します。

その演技力と魅力にすっかりファンになってしまい、
さっそく田中さん主演の映画DVDを新たに3つゲットしました。
(2本はアマゾンで購入、1本は買い取りでゲット!(笑))
次の休みに見るのが楽しみです!

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そして、山田風太郎の「人間臨終図鑑(全3巻)」を読んでいたら、
ちょうど田中絹代さんのことも書かれていたので読んだのですが、
・・・日本映画史を代表する大女優でありながら、
最後は孤独で寂しい晩年を過ごされたようで、心が痛みました・・。

(以下は「人間臨終図鑑2」(山田風太郎・徳間書店)より)

「ああ倉本さん、倉本さん!ほめられましたよ、ほめられました!
みなさん感激して下さいまして田中の電話は鳴りっ放し!
みなさんインテリア(ママ)の方々で-」(倉本聰『さらば、テレビジョン』)

65歳の田中絹代は昭和49年の映画「サンダカン八番娼館」、テレビ「りんりんと」で、
鬼気せまる演技を見せ、観客を感動させた。「りんりんと」が放映された翌朝、
脚本家の倉本聰が電話すると、田中絹代のさけび声が聞こえた。

昭和51年のNHK連続ドラマ「雲のじゅうたん」に彼女はナレーターとして出演したが、
その途中9月ごろ愛猫のエサを買いに鎌倉駅前のデパートにいったとき、
足がよろめいて転んだ。それ以来吐き気や頭痛を訴えはじめ、
自宅で横になっていることが多くなったが、不調をおして「雲のじゅうたん」
総集編のナレーションも無事録音した。

その年の11月末、日本テレビ「前略おふくろ様」の撮影で倉本が立ち会ったとき、
しかし田中絹代はすでに異常を呈していた。倉本は書く。

「その日の仕事はめちゃくちゃだった。辛いことだが田中さんは
もうセリフを云うことが出来なくなっていた。しかし田中さんはよくしゃべり、
よく笑った。いや、正確に云ってしまうなら、異常に、と表現すべきだろう。
田中さんは明らかに精神の均衡を失っていた。何でもないことにプッと吹き出し、
かと思うと急にギュッと口を閉じ、更に突然すさまじい口調で人の悪口を
次から次へ云った。麹町から代々木の稽古場へ一緒の車で向かう中でも、
田中さんは1人激しくはしゃぎ、激しく怒り、そして笑った。

僕は田中さんに懸命に合わせながら、どうしてこんな田中さんを
(テレビに)引っ張り出すようなことをしたのか、錯乱の中で後悔していた。
田中さんの背に手を廻して鎮めよう鎮めようとさすりながら、熱い塊を必死に抑えた。
田中さんの身体は異常に小さく、僕の腕の中にすっぽり入った。(中略)
激しい神経的躁状態が田中さんの内部からほとばしっていた。『あいつは何だ』とか、
『あのヘタ監督が』とか凄まじい表現が機関銃のように田中さんの口から奔走り出た。」

暮の27日、彼女はついに本郷順天堂病院に連れてゆかれ、翌52年1月に入院した。
彼女自身は聞かされなかったが、病名は脳腫瘍であった。

入院後の2月ごろ、つきそいの映画監督小林正樹につぶやいたことがあった。
「セリフをしゃべらず、じっと動かないでつとまる役はないかしら」小林は答えた。
「それはできますよ。セリフがなくても動かなくても、名女優は名女優です」
むろん小林は、絹代のことを考えていたのだ。

自分の病名を知らず、早くよくなろうとして彼女は、うなぎやアナゴを必死で食べた。
しかし3月にはいって彼女は、箸を使うことが出来なくなり、手で食べはじめた。
しかし、それでも田中絹代らしく、それはいかにも可愛らしかった。

厠にも立てなくなると、おしめをあてがわれたが、17歳のときから付き人をしている
仲摩篤美が手をのばして具合をたしかめようとすると、首をふっていやだといった。
その一方で仲摩の手で毎日顔にクリームをぬらせた。

倉本は記す。
「ただ1つ書いておきたいことは、その時田中さんに全く金がなかったことである。
鎌倉の家と、三崎に建てかけて中座したままの別荘はあったが、
田中さんには使える金がなかった。それどころか借金を抱えていた。
入院費すら全くなかった。抵当に入っていた鎌倉の家すら、
放置すれば人手に渡るところであった」

「田中さんは恐らく三崎の家に、最後の夢を注いでいらしたのだと思う。
だが、不幸にも資金が続かなかった。九分通り出来上がったその家は、
ここ2、3年放置されていた。それでも田中さんは時折少しずつ、
気に入った電気器具や小さな家具を買い、三崎のその家に運び込んでいた。
未完成の家の中に、それらの品が、店の包装のままちょこんと置かれていた。
(中略)いずれにしても日本映画界を代表するスターの、
これが最後の夢だったのかと思った。そしてその家へ恐らく一度も、
足を踏み入れずに果てられるであろう田中さんの口惜しさを思った」

いったい、半世紀にわたり一代の名女優として彼女が稼いで来た莫大なギャラは
どこへ行ってしまったのか。

「田中さんの病室を最後に訪ねたのは、あれは2月の何日だったろうか。
田中さんは既に口がきけなかった。それでも壁のレリーフ(51年度の
芸術祭最優秀賞として彼女主演の『幻の町』が文部大臣から受賞した盾のレリーフ)
を指さし、そして必死に笑おうとされた。でもその笑いはすぐに涙に変わった。
田中さんは自分の袖をまくってみせた。何か仰ったが、ききとれなかった。
その二の腕のあまりの細さに僕は何も云えなかった。田中さんは自分のその腕の細さを
窓の光にかざすようにし、永いことじっと見つめておられた」

最後には眼も見えなくなった。痰がつまって苦しむので、のどに穴をあけた。

3月21日午後2時15分、彼女は順天堂病院で息をひきとった。

口がきけるうち、従弟にあたる監督の小林正樹にいった最後の言葉は
「桜の咲くころは、きっと鎌倉の家へ帰ってお花見するからね」という言葉であった。

やはり映画監督の中村登はいう。
「お通夜のとき、小林正樹さんが言いました。
『とても良い顔をしています。見てやって下さい』白布を拡げた時の絹代さんは、
60年という修羅場を女ひとりで戦い抜いて来たとは見えない安らかな顔でした。
不覚の涙がこぼれました」

その翌日の夕方、倉本ははじめて田中の鎌倉の家を訪れた。
「-その部屋はひどく寒かった。寒いのに暖房の設備が殆どなかった。
寒い上にやたらに暗かった。(中略)洋間に続く四畳半があり、
そこに小さな置きごたつがあった。こたつのすぐ脇に電話があったので、
田中さんはいつもここにいたンだなと判った。古びたテレビが1台あったが、
驚いたことにそれは白黒テレビだった。それがたったの1台きりだった」

40年間田中につきそい、彼女がボディさんと呼んでいた老優隼信吉は
べろべろに酔い、泣くように話しかけた。
「先生ごらんよ、ここにいたんだよ、田中絹代はいつも独りでね。
俺がたまに来るとこの暗い部屋で、こたつに当たって頭かかえてンだ。
両手でこうやってさ、電気もつけずにさ、田中絹代はいつも独りで、
頭抱えて坐ってたンだ。え、判りますか。天下の田中絹代がですよ!
頭抱えて坐ってるんですよ!」(倉本聰『さらば、テレビジョン』)

築地本願寺の葬儀には、しかしカッポウ着姿といったおばさんたちをふくめ
ファン2000人が集まり、みな焼香台の上に100円玉を置いていった。
ああ、これこそファンが、昭和期最大の映画女優田中絹代に捧げた
最高の勲章ではあるまいか。-この金は遺骨とともに墓地に埋葬された。

死後に「楢山節考」と「愛染かつら」が再上映された。
映画が終わると劇場内には期せずして万雷の拍手が起り、いつまでも鳴りやまなかった。

「人間臨終図鑑2」(山田風太郎・徳間書店)


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