「華族令嬢たちの大正・昭和」女子学習院時代の面白エピソード /千葉県千葉市で出張買取りでした。


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今日入ってきたこちらの本を読みました、面白かった!
「華族令嬢たちの大正・昭和」華族史料研究会/吉川弘文館
女子学習院での教育、人力車の送り迎え、別荘での避暑、お国入り、華麗な縁戚、
家存続のための婚姻、関東大震災、二・二六事件、戦争…。
四人の女性が在りし日の華族の生活を語る。

大正生まれの元・華族の4人の女性たち
(上杉敏子(旧姓・徳川)、寺島雅子(旧姓・細川)、勝田美智子(旧姓・原田)、京極典子)が、
幼少時代、学習院時代、結婚、戦時中の混乱、
そして戦後の華族制度廃止の時のことなど、半生を語っています。
4人の座談形式のため、堅苦しくインタビューに答えているという感じではなく、
女性たちが和気あいあいと楽しく思い出話に盛り上がっているという雰囲気で、
わかりやすく、読みやすかったです。

本書では、女子学習院時代の様子にも多くのページが割かれていて興味深いのですが、
その中でこんな面白いエピソードがありました。
語るのは上杉敏子さん。
徳川宗家17代公爵徳川家正の二女で、
ご主人は旧米沢藩主家上杉伯爵家(上杉謙信の子孫)だそうです。

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上杉:
鍋島直康先生(※旧佐賀藩主鍋島家一門の男爵家出身)という歴史の先生が
はじめて教壇に立たれた日に、クラスを和やかなムードにしようとお思いになって、
いろいろな歴史上の人物の好き嫌いとか、そういう人間的なことをまずお話になろうと
お思いになったらしいのです。

私は徳川ですけれど、家康のことを「狸親父」と黒板にお書きになって、
秀吉のほうが人気あって家康はどうとかおっしゃったので、私は涙が出て、
先生をお困らせしたのです(笑)。
先生が教壇に置いてある名簿をご覧になって、あわてて「狸親父」をお消しになって、
「あっ、ここではこの話はまずかったな」とおっしゃったのが、すごく悲しかったのです。
  

この事件が有名になってしまいましてね。「家康のことで泣いた徳川」と
ずいぶん後までいろいろな方に冷やかされました。
家では本当に「権現様」「天皇陛下の次に偉い方」と教え込まれていましたから、
すごくショックだったのです。

― 「狸親父」というあだ名は、そのときにはじめて聞いたのですか。

上杉:
多少は聞いていましたけど、はっきり「秀吉のほうが人気があって、
狸親父はあまり好かれていない」というようなお話になってきたものですから、
すごくショックで、鍋島先生が男子部のほうでも「すごく困ったのだよ」と
おっしゃるものですから、ずいぶん大人になってから
「家康のことで泣いたかたは、あなたですか」とからかわれたりしました(一同笑)。

― それは何年生くらいのことですか。

上杉:
鍋島先生がはじめていらしたときだから、何年でしょうね。
私のクラスが最初の授業だったそうです。
歴史をあまり堅苦しく考えないようにと、お思いになったらしいのですね。
はじめて教壇に立たれて、最初に大失敗したの(一同笑)。
いつまでも話題の種になりました。

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ちなみに鍋島先生はこの授業の後、学習院の院長に呼びつけれられて、
「ここはむずかしいところなのだから、今後は十分気をつけろ」と叱られて、
這々(ほうほう)の体で引き下がられたのだそうです(笑)

昭和22年に日本国憲法の施行にともない、華族制度は廃止となり、
特権的な地位を失いました。
しかし意外なことに、この本の4人の女性たちは、それほど衝撃を受けなかったといいます。
華族であることに不自由さや束縛を感じながら成長したこともあり、
むしろ華族でなくなることをある種の開放感をもって受けとめたのだそうです。
ただ、この4人の女性たちは終戦のときにまだ三十歳前後で、
終戦時に六十歳以上の華族の人たちは
「これで自分の世は終わった」と思った人たちも大勢いたそうで、
終戦後、経済的に没落した華族も珍しくなかったそうです。


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