三浦環ブロマイド/埼玉県狭山市で出張買取りでした。

カテゴリー/くまねこ堂通信

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現在3位です、皆様どうもありがとうございます!!
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古写真・古ブロマイドシリーズ第4弾!
今宵は昨日に引き続き、
戦前~昭和にかけて声楽家・歌手として活躍した方達のご紹介です。

この写真を見ていたら、
「あれ?これって三浦環じゃないの?∑(゜ω゜)」
「エエッッ!?8O

 ・・・・・・い、言われてみれば・・・・そんな気がしてきた!8O:ase1:

ど、どうなんだろう・・・ドキドキ:kaomoji2:ドキドキ
残念ながらこの写真はサインもメモ書きも入っていないので、手がかりが無いのです。
でも言われてみれば、ほっぺのラインとかよく似ている気がするし、
服装もモダンで洋風な感じでそんな雰囲気です。
それにこの・・・いささかふくよかな容貌で(失礼:ase1: )わざわざブロマイドになる人というと、
確かにオペラ歌手の可能性が高いかも・・・・
もし本当に三浦環さんの写真だったら感激だなあ!!:kaoemoji1:
※追記※
情報を寄せていただきました(多謝!)。
これは昭和10年前後の、三浦環さんの写真だそうです、やったね!ヽ(≧∀≦)ノ

三浦環」(みうらたまき、1884年 – 1946年)
(日本人として始めて国際的に活躍したソプラノ歌手です。
 日本を舞台にしたプッチーニの歌劇「蝶々夫人」のヒロイン役を武器に、
 欧米で約20年間に渡り輝かしいプリマドンナとしての栄光を築きました。)
三浦環さんのことは旧ブログのほうで何度か取り上げておりますので、
よろしければご覧下さい m(_ _)m
三浦環の芸の力
昭和9年の芸大(旧・東京音楽学校)
昭和初期の陸軍病院の写真/三浦環

三浦環

You Tube 「プッチーニ歌劇「蝶々夫人」より”ある晴れた日に”」

私、「三浦環全集(CD-BOX)」を持っていてよく聴くんだけど、
何だかこの人の歌、とても好きなのです(*’-’*)
確かに歌唱法とか古くさいでしょうし、もっと声の出る人はいくらでもいると思う。
でも「なんだか心を打つ」っていうのは、理屈じゃないんだよね。
聴いているうちにいつの間にかぐいぐい引き込まれていくその歌の魅力は、
国境や時代を超えて、生き続けていくものだと思います。
そしてまた、CDやDVDも無く、
今のように毎日のように外来演奏家が来日して演奏会を開いているわけでもなく、
本場のオペラを見聞きし勉強することが極めて困難だったこの時代において、
ここまでの技術を習得し欧米の舞台で活躍ができたというのは、
やはり心から尊敬の念をおぼえます。

 

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実は今回入ってきた古写真の中で、私が個人的に一番感動したのは
このかたの写真です。

関屋敏子」」(せきやとしこ/1904年 – 1941年)
ソプラノ歌手。上記の、三浦環女史の弟子でもあります。

「東京音楽学校(現東京芸術大学)声楽科に入学するも、
 当時の同校教育はドイツ系で、イタリア系の敏子への異端的扱いによりまもなく退学。
 その後、“世界のオペラの主流はイタリア”の信念から
 昭和2年(1927)に憧れのイタリアへ留学し、
 1カ月弱で「椿姫」「ルチア」「リゴレット」の三大オペラを修得。
 のち、多くの演奏会でオペラ曲目以外に日本民謡を披露、
 新聞は「日本の生んだ天才音楽家」として高く評価した。
 昭和3年(1928)世界最古の音楽大学・ボローニア大学から
 日本人初のディプロマ(特別卒業証書)が授与され、
 さらにスカラ座のオーディションに合格しプリマ・ドンナとして
 「椿姫」「蝶々夫人」など五大オペラを3カ月間主演。
 その後も国内をはじめ、アメリカ・ドイツ・中国など世界から主演要請があり、
 “世界のプリマ・ドンナ”の地位を築いた。 」
 (「世界のプリマ・ドンナ 関屋敏子」より抜粋)

すごいですよねえ!!8O
しかもこのかたは、作曲の才にも恵まれていたようです。

「昭和9年(1934)、前年パリで発表し絶賛された自作自演の日本風オペラ
 「お夏狂乱」が歌舞伎座で上演され、多くの音楽ファンを魅了した。
 同12年旧将軍家剣道師範の家柄・柳生五郎(やぎゅうごろう)と結婚、
 しかし音楽を生き甲斐とし、また関屋家の維持のため活動する敏子と、
 家庭に入ることを望む五郎との溝は深まるばかりで、わずか4年に満たず離婚。

 心の中の空虚を埋めるかのように休む間もなく歌い、
 また作曲を続ける昭和16年の晩秋、オペラ「巴御前」の作曲に没頭し、
 連日深夜まで楽譜に向かう敏子の心身の疲労は極限に達していた。
 11月23日深夜、自作「野いばら」の楽譜裏表紙に辞世の歌を残し、
 睡眠薬により自ら37歳の短い人生に終止符を打った。

 師三浦環は哀惜の涙と共に、霊前に
 “歌に生き歌に死つる関屋敏子 名は伝はらん幾千代までも”の師歌を捧げている。」

 (「世界のプリマ・ドンナ 関屋敏子」より抜粋)

37歳とは・・・痛ましいです、
ソプラノ歌手としてまだまだこれから、脂が乗る時期でしたでしょうに・・・。

You Tube 「夜の調べ」

このサイン入りの写真は、くまねこ堂に来なければ
破棄されてしまっていた可能性もありますので、
うちに来てくれて本当に良かったです、
大げさですが何か運命すら感じます(*’-’*)
しかも、くまきちが何気にサインを読んで「セキヤトシコ?(´・ω・`)」と口に出さなければ、
私も気が付かずに市場に出しちゃってたかもしれないです、
たくさんの不明古写真に囲まれて、いささかグロッキーになっていたので・・(汗)
気が付くことができて本当に良かった、大切にさせていただきます!!

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