江戸と上方の、芸に対する考え方の違い(観世銕之丞&坂東三津五郎の対談より)


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こちらを読みました、とっても面白かった!

「能のちから~生と死を見つめる祈りの芸能」九世観世銕之丞/青草書房

著者の観世銕之丞(九世)さんは、観世銕之丞家の現当主で、
戦後を代表する天才能役者だった観世寿夫さんの甥にあたります。
この本では、能楽師の日常や、リハーサルや舞台の風景、銕之丞さんのルーツ、
能18曲の解説などがわかりやすく書かれていて、大変面白かったです。
また文章からは控えめで温かいお人柄が感じられました、私はまだ銕之丞さんの舞台を
直接拝見したことがないので、今度ぜひ観に行かなくっちゃ!(*^^*)

ところでこの本の中に、歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんとの対談も収録されており、
こちらも非常に興味深かったです。

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(抜粋)

観世銕之丞:普段のお稽古の仕方はどうですか?

坂東三津五郎:能の世界はわかりませんけれども、歌舞伎の場合は、
  伝承するというものの考え方が江戸と上方では全然違うんですよ。

観:どう違うんですか。

坂:江戸は、将軍以下270もの大名家が住んでいた町なので、町民にもその意識がすごく強い。
  八百屋にしても魚屋にしても植木屋にしても、どこかで武家と繋がっている。
  大名以外に旗本もいるわけで、なにがしか武家へのお出入りがある。
  ということは、自分が出入りしているお侍さんの家が潰れたら困りますね、
  商売に直接影響を受けますから。だから、跡取りの性格が悪くても馬鹿でも、
  とにかく後を継いで家を繋げて欲しい。代を重ねるということに意義があるんです。

観:なるほど、確かに。

坂:だから歌舞伎でも「十八番!」とか、「待ってました!」とか、親がやっていたことを
  子どもがやると喜ぶんです。繋がったねって。だけど上方は投機の町ですから、
  前代の通りに次代がやると、「なんや工夫がないな」といわれる。
  名人といわれていちばん人気をとった演技でも、その次も真似をしてやるとダメ。

観:つねに工夫をして変えていかなきゃいけない。

坂:それから子どもに対しても、江戸は軍隊式というか、
  このレベルを超えたら自分流にやってもいいけれど、ここまでは言う通りにやれ、
  「自分の考え、などと生意気なことを言っちゃいかん」といわれる。

観:黙ってやれ、と。

坂:そうそう、けれども上方は、「わしの真似をしとったら、わしのコピーやで」と。
  だから、親子でも違ったり、弟子でも全然違ったりする。だって、米朝さんの弟子が
  枝雀さんですからね。芸風という意味でいったら全然繋がらない。

観:じゃあ何で弟子なの、みたいなことになりますね。

坂:そういうことが多いんですよ。だから歌舞伎役者でも、
  上方では十何代続いている家なんかないんですよ。そのときに芸がいい人がいいわけです。
  東京では続くことに意義がある。で、あの子だんだん良くなってきたねとか、
  お父さんに似てきたねとか、そういう見方をしてくれるんですけれど、
  大阪では親が上手で息子が下手だったら、息子はいらない。芸のうまい人のほうがいい。

観:厳しいといったら厳しいですね。

坂:だから、例えば坂田藤十郎さんのところなんか、翫雀(かんじゃく)君たちは
  まったく手取り足取り教わらないっていいますからね。僕らは信じられないけど。

観:親子でも競争相手。

坂:そうなんですよ、彼女も取り合ったりしてね(笑)。

観:まあ、習うというのもいろいろありますよね。うちの親父たちの世代というのは、
  戦争で舞台がうんと減っちゃったので、祖父と曾祖父と、
  親父たち兄弟に教える人がうちに二人いて、とにかく毎日稽古している。
  それで、こんな時代だから日本がどうなっちゃうかもわからないというんで、
  とにかく、現行曲で教えられるものは全部教えちゃえ、って教えちゃったらしいんです。
  いちばん上の伯父(観世寿夫)は天才的な人でしたしね。
  そういった意味ではすごい稽古だったんですね。
  ところが、僕なんかは現行曲の三分の一も習ってないですからね。

坂:先代からということですか。

観:そうです。

(抜粋)

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江戸と上方では考え方がずいぶん違うんだなあと驚きました。
また、先代・先々代から「現行曲で教えられるものは全部教えちゃえ」と教えられた
観世寿夫さんたち兄弟に対し、
先代から「現行曲の三分の一も習ってない」という銕之丞さん。
「心より心に伝ふる花」という本の中で、観世寿夫さんもこう書いていたことを思い出しました。

「一方、稽古の面でも、戦中戦後の時期は私には幸いしました。
 先にのべたように、戦争が進むにつれて能を演ずることも、謡や仕舞を教えることも
 少なくなって、能役者は失業状態でした。
 習う側の私はもちろん、教える側の先生たちのほうも仕事がなくなって
 大変にひまだったのです。そこで毎日毎日稽古をしてもらえたわけです。
 現在では、教師側も習う側も非常に多忙になって、そうそう稽古ばかりしてはいられないのが
 実情ですが、私の場合は、最も大切な年齢の時に基礎固めの稽古ができたこと、
 骨身を惜しまずからだで能に迫る毎日があったということは、
 能役者として何にも増して幸いなことでした。(抜粋)」

また、明治時代の能役者さんたちの稽古の厳しさはすさまじいものだったと
本などで伝え聞いておりますが、
同じ能役者さんでも、時代によって置かれる環境がだいぶ変わってくるのだなあと思いました。


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