日本写真界のパイオニア、下岡蓮杖の直筆水墨画の入荷です

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また興味深いお品物が入荷いたしました。
この水墨画、いったい誰の絵かといいますと・・?

下岡蓮杖(しもおか れんじょう・文政6(1823)年~大正3(1914)年)という、
日本最初期の写真師が描いた絵なんですって!

「東の下岡蓮杖、西の上野彦馬」と呼ばれ、
彦馬と並んで日本写真界のパイオニアとして知られております。
(偶然にも同じ文久2年に、彦馬が長崎で、蓮杖が横浜で、
文明開化の新業種である写真館を開設したのだそうです)

↓ 蓮杖の肖像写真、40代の頃

 

↓ 台紙裏に押された、蓮杖の印。

しかし写真館を開業したものの、最初は順風満帆とはいかなかったようです

さて開業はしたものの、写真を写せば寿命が縮む、
魂を吸い取られるという時代であるから、
長崎の上野撮影局同様、日本人の客は現れず、まして、女性の客は全く少なく
どうしても居留地の外国人、または外国船員などが多かった。
蓮杖は外国人を喜ばせるため、いろいろの試みをした話が残されている。
蓮杖はなかなかのアイデアマンだったようで、とくに外国人の異国趣味に迎合して、
少女をモデル代わりに一緒に撮影するとか、外国人客に着物を着せたり、
裃姿やさらには鎧を着用させての撮影、また写場の背景を座敷風に作り、
外国人客の希望によって屏風の傍らに石灯籠を据えて写したりもした。
後年、欧米で日本の風俗紹介に誤解を与えたのは、これら海外への
土産物写真が原因で、「多く是に胚胎せり」(写真事歴)と記されている。
(「保存版 古写真で見る幕末・明治の美人図鑑」より)

 

↓ 馬車道にあった、蓮杖の写真館。
 「全楽堂」「相影楼」の額、
 コーナーに「PHOTOGRAPHER RENJIO’S BRANCH HOUSE」、
 2階に「PICTURES UP STAIRS」の文字。

蓮杖は狩野薫川(かのう とうせん。?-1871)に絵を学び、
明治9(1876)年に写真業を廃した後は、書割りやパノラマ画を製作・販売、
晩年は家業を息子に譲り、自分は主として絵画の制作に入ったそうです。

ちなみに今回入荷した水墨画は、
蓮杖が79歳の時の作品だと判明しておりますので、
すでに家業を譲って悠々自適の頃に描かれたものなんでしょうね。

そしてこの水墨画には、もう一つ注目すべき点がありまして、

中川紫郎(なかがわ しろう・明治25(1892)年~昭和33(1958)年)という
映画監督が所有していた物なんですね!
この方は、帝国キネマという、第二次世界大戦以前に大阪に存在した映画会社の
創立期の大監督なのだそうです、へえ~~

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本記事の参照文献はこちらです:


「幕末日本の風景と人びと フェリックス・ベアト写真集」
横浜開港資料館編、明石書店

 

 
「保存版 古写真で見る幕末・明治の美人図鑑」著:小沢健志、世界文化社

 

 
「セピア色の肖像 幕末明治名刺判写真コレクション」
著:井桜直美、英文:トーリン・ボイド、日本カメラ博物館監修 


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