河鍋暁斎が残した絵日記


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昨日一昨日の記事で「これぞ暁斎!ゴールドマン コレクション」展を
ご紹介させていただきましたので、それにちなみ、
河鍋暁斎に関する面白い本を1冊ご紹介させていただきます


「河鍋暁斎絵日記 江戸っ子絵師の活写生活」
河鍋暁斎記念美術館編/平凡社コロナ・ブックス

暁斎は1870(明治3)年から絵日記を付け始めたといわれており、
明治3年~亡くなる直前まで約20年間にわたって
絵日記を描いていたはずなのですが、
現在発見されているのはわずか4年分ほどしかないのだそうです。

なぜかというと、
「この『絵日記』に描かれている人々は、毎日毎日おいでになる方々の
似顔ですから皆さん面白がって、一ヶ月待てず奪い合いで買われますから、
バラバラになって、今どうなったやら・・・」
という暁月(暁斎および暁翠(暁斎の娘)の弟子)の証言にある通り、
絵日記は暁斎が描いたそばからどんどん人手に渡ってしまったのですね!
死の直前でも、国内外から三百点もの注文が溜まっていたという
暁斎の人気絵師ぶりが、ここからも伺えます

暁斎は絵日記に、その日の出来事や来客などの日常生活や、行事や事件、
物の値段や日々の天候といったことまで事細かく記録しており、
時代風俗資料としても非常に興味深いのですが、
当記事ではやはり骨董屋らしく、絵日記に登場する骨董に関する人物を
取り上げてみたいと思います:hoshi1:

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右のおじいさんは狩野永悳(かのうえいとく、1815~1891年)。
狩野宗家中橋家の第15代であり、明治11年に来日したフェノロサに日本画を指導、
明治23年には帝室技芸員に任命されました。

上図は、暁斎が永悳に古画を見せてもらっているところだそうです。
こうやって貴重な古画を見せてもらい、暁斎は勉強していたのですね。

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「石川光明先生がヨウカンを持ってやってくる。」とあります。
わあ~、すごいな、光明だ!

彫刻家・石川光明(1852~1913年)は、明治時代に人気があった牙彫における
第一人者で、1890年に帝室技芸員に任命されています。

高村光雲「幕末維新懐古談」という本の中で、光雲は光明のことを、
「いかにも人ずきの好い人。既に一流の大家でありながら、それでいて
言葉使い、物腰、いかにも謙遜で少しも高ぶったところがない。」
と述べていますが、上図の光明氏を見ても、いかにも心優しく穏やかそうですね。

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「弟子の海野(美盛)が年賀に卵とハラゴ持参。」とあります。
へえ、海野美盛は暁斎の弟子だったんですね!
美盛は水戸出身の彫金師・日本画家です。
(でも初代と2代がいるようなんですが、どっちなのかな?)

ちなみに石川光明も海野美盛も、当店で実際に作品を扱ったことがあるので、
こうやって絵日記で見られてなんだか嬉しいです(^^)

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ジョサイア・コンドル鹿鳴館旧岩崎邸などを設計したイギリス人建築家)。
暁斎は毎週土曜日、コンドル宅へ出稽古に通っていました。
コンドルは正座が苦手だったようで、こうして寝そべったり、
中腰で描いたりしている姿が絵日記に出てきます。
しかしついには胡坐をかいて扇子にスラスラ描いてみせるまでに上達したそうです。

コンドルは暁斎の愛弟子として「暁英」の号をもらいました。
暁斎の臨終の際にも立ち会い、国を越えて深い師弟の絆を結んだことで
知られています。

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最後に、暁斎が亡くなるひと月ほど前に描いたという
絵日記をご紹介して終わりたいと思います。
病に侵された死の間際でもなお、描くことをやめなかった暁斎。
本当に描くことが好きで好きでしょうがなかった「画鬼」の姿が伝わってきますね。

 


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