買取事例
藤沢にて、展覧会図録、美術書、デザイン書、GLAYのツアーDVD・CDアルバムをお譲りいただきました。
本日は、書籍「明治の話題」柴田宵曲・著(ちくま学芸文庫)をご紹介させていただきたいと思います!
本書は明治30年生まれの作家で俳人の柴田宵曲が、自らが感じた文明開化時代の様子をコラム的に取り上げた、読みやすい一冊!
ガス燈に火を灯す男性を描いた表紙も、今見てみるとコミカルな印象さえ受けます。
目次に目を落としてみますと、「提灯行列」「凱旋門」「花電車」「新内の流し」など戦前までの日本の風物詩であった事柄が記されており、明治から戦前にかけての大衆の生活と、庶民はどのような視点で文明開化を見ていたのかという点が大変面白く、貴重な記録になっております。
ほかにも今は使われなくなった「絵端書」(=絵葉書)「広目屋」などの言葉や、押川春浪、饗庭篁村などなど現在ではなかなか挙がることのない明治時代の文筆家たちの名前もたくさん取り上げられており、大変興味深いです。
特に面白いのは「蓄音器」や「幻燈」「イルミネーション」などの当時の文明の利器についての感想で、正岡子規が病の床で蝋缶蓄音器を聴き、その蓄音機で聞いたうろ覚えの音楽に自己流の歌詞を付けたなどの情報も織り込まれており、この一冊を読めば明治時代についての雑学をたくさん得ることができますね!
「明治は遠くなりにけり」…という言葉もすでに死語となって久しくなりますが、遠い時代に想いを馳せて、秋の夜長の一冊に如何でしょうか?
byこばちゃん
昭和40年代・昭和50年代 古本、大量のお取引!森山大道、荒木経惟、平凡パンチ、週刊プレイボーイ、特撮ヒーロー、写真集、サブカルチャー本など
ある教会の前の、あそこ、名前を忘れたかそれとももともと知らないあの交差点を、渡りきったばかりのことだ。とつぜん、まだ十歩ほど先だろうか、逆方向から、ひとりの若い女がやってくるのを見る。とてもすばらしい服の女で、むこうも同時に、あるいはもっと前から、私を見ている。ほかのすべての通行人と反対に、頭をまっすぐに高くあげて進んでくる。とても華奢な体つきで、ほとんど地に足をつけずに歩いている。なにか目に見えない微笑がその顔にうかんでいるようでもある。
ブルトンは有無を言わさず惹きつけられ、共依存の交流を重ね、ふたりの関係をこう言います。
現実の前で、いま思えば狡猾な犬のようにナジャの足もとに寝そべっていた現実の前で、私たちは誰だったのだろう?いったいどんな緯度のもとで私たちは、あのように象徴の熱狂にとらわれ、類推の魔に身をまかせながら、おたがいのなかに最後のはたらきかけの相手を、奇妙な特別の関心の対象を見ることができたのだろう。いったいどういうわけで私たちは、不可思議な呆然自失状態のあとにのこされる短いあいまいな時間に、ふたりして、決定的に、あれほど遠く地上から投げ出されながらも、まだくすぶっている古ぼけた思想やだらだらとつづく生活の残骸の上で、信じられないほどに一致する視線のいくつかをかわすことができたのだろう?私は最初の日から最後の日まで、ナジャをひとりの自由な精霊としてとらえていた。つまり、ある種の魔術の行使によって一時的につなぎとめることはできても、服従させることはとても考えられないような、あの空気の精のひとりに似た何かとして。
ブルトンと一つ歳の違うジョルジュ・バタイユは『マダム・エドワルダ』という短編を書きました。主人公の男は娼婦エドワルダに稲妻を打たれたよう惹かれ、交わり、翻弄されていきます。エドワルダに聖なるものと穢れたものを見て、そして引きずりこまれていきます。
おれの生はおれがそれを欠くとき、はじめて意味を持つのだ。正気を失うという条件のもとに、わかる者はわかってくれよう、瀕死の人間はわかってくれよう…これこそは存在の姿である。理由もわからず、寒気で、震えつづけ…。無限の拡がりに、暗闇にとりまかれ、わざわざ、彼はそこに置かれているのだ…<知らされない>目的のために。
小説の世界だけでなく、フィルム・ノワールと呼ばれた1940年代から50年代のアメリカで製作された映画群にも、多くのファム・ファタールが登場します。
日本も欧米も関係なく、倦怠した主人公たちは、私が私ではなくなっていく瞬間を求めます。
パスカルは人間はじっとしていられない、気を紛らわす生き物だと言いました。人間は退屈する。しかし退屈するからこそ躍動を求める。環世界を組み替えて経めぐっていく。
パスカルの文章を読むにつけて、簡単にはこの退屈を奪わせないぞ!と私は思いました(笑) 退屈が飛躍の引き金だとしたら、安易に霧消させてたまるか!と。
今まで見ていた風景を相対化し変えてしまう、同じように生きれなくなってしまうもの、環世界を組み替えてしまうもの。それは個人の環世界によって、様々異なるでしょうが、さまざまなものの中でも芸術には特にその力があると私は思っています。
三回にわたって滔滔と好き勝手に書いてしまいましたが、くまねこ堂からみなさまの、知覚が、世界が違って見えてしまうなにかをお届けできたらなにより幸いです。
タテ
墨田区向島にて絶版マンガをお売りいただきました[ひばり書房、虫コミックス、てんとう虫コミックス、水木しげる、楳図かずお、藤子不二雄、永井豪、手塚治虫、矢口高雄]
郷田三郎はどんな職業についても、長くても一年続かず、遊びにも飽きてしまいます。犯罪のまねごとをして、気まぐれに誰かを尾行したり、妙な暗号文の書いた紙をベンチに挟んだり、変装をして、乞食になってみたり、女装したり。しかしこれにも飽きてしまい、ある日屋根裏にのぼり他の部屋をのぞくと、、、と話は続いていきます。
彼は自分では哲学科出身と称しているのですが、といって哲学の講義を聞いたわけではなく、ある時は文学に凝って夢中になり、その方の書物をあさっているかと思うと、ある時はとんでもない方角違いの建築家の教室などに出掛けて入って、熱心に聴講してみたり、(中略)ばかに気が多いくせに妙に飽き性で、これといって修得したかも苦も無く、無事に学校を卒業できたのが不思議なくらいなのです。
もっとも人見広介自身が、何かの職について世間なみの生活をいともうなんて神妙な考えは持っていなかったのです。実をいうと、彼はこの世を経験しない先から、この世に飽きはてていたのです。
乱歩の小説のいくつかの主人公たちは、とにかく飽きはてており、何かもっと奇特な奇怪ななにかはないかと求めているうちに一線を越えていってしまいます。
谷崎潤一郎の『秘密』という短編の主人公も飽きるあまりに女装して、活動写真館で昔飽きてこっぴどくフった女に出会い、彼女が自分の女装より美しいことに興奮して、交流を再度深めていくうちに・・・という話です。本文にはこう書かれています。
普通の刺戟()に馴()れて了った神経を顫い()戦()かすような、何か不思議な、奇怪な事はないであろうか。現実をかけ離れた野蛮な荒唐な夢幻的な空気の中に、棲息()することは出来ないであろうか。こう思って私の魂は遠くバビロンやアッシリヤの古代の伝説の世界にさ迷ったり、コナンドイルや涙香()の探偵小説を想像したり、光線の熾烈()な熱帯地方の焦土と緑野を恋い慕ったり、腕白な少年時代のエクセントリックな悪戯()に憧がれれたりした。
退屈をモチーフにした作品は今挙げただけでなく、古今東西多くの作品がありますが、多くの作品は犯罪に走ったり、なにかより奇異な世界に走ったり、先程挙げた漱石の『行人』の中では、板塀のすきまからカニが出てくる姿を見惚れた一郎は、その間だけ苦しくはなかったことに気づかされて作品は終わります。退屈を忘れさせる忘我、自失の状態を彼らは求めていきます。
(余談ですが、退屈から遊離することをほとんどの作家は書きますが、退屈に興じる、その中に踏みとどまって、飛躍しないことでなにかと繋がろうとする作品を描いた、つげ義春の一連のマンガがわたしは退屈をとりあつかったものの中でもいっとうに好きです。)
書道道具 硯 筆 リトグラフ 掛軸 書道の本 拓本 美空ひばり クラシックCDをお売りいただきました〔東京都杉並区浜田山にて〕
お客様から『パスカル『パンセ』を楽しむ』山上浩嗣 をお譲りいただきました。
みなさんは退屈なときはどう過ごされていますか?
パスカルは自然科学、物理学にも精通していましたが、神学者でもあり、またパンセの二章において「退屈」について考えた哲学者でもあります。
『パンセ』の第二章「神なき人間の惨めさ」に書かれたいくつかのアフォリズムたち。パスカルは、人間は部屋でじっとできない、退屈する、気を紛らわす生き物であるということから思索を深めていきました。
(中略)数ヶ月前、一人息子を失い、訴訟や争いごとで打ちひしがれ、つい今朝がたもあんなにくよくよしていた男が、 今ではもうそんなことを考えていないのは、どうしたわけだろう。驚くことはない。猟犬どもが六時間も前 からあんなに猛烈に追いかけている猪が、どこを通るだろうということを見るのですっかりいっぱいに なっているのだ。それだけのことでいいのだ。人間というものは、どんなに悲しみで満ちていても、 もし人が彼を何か気を紛らすことへの引き込みに成功してくれさえすれば、そのあいだだけは幸福になれる ものなのである。また、どんなに幸福だとしても、もし彼が気を紛らされ、倦怠が広がるのを妨げる 何かの情念や、楽しみによっていっぱいになっていなければ、やがて悲しくなり、不幸になるだろう。
2011年に出版された國分功一郎「暇と退屈の倫理学」の中では、パスカルやハイデガーの退屈論に関して触れながら、最終的にユクスキュルの「生物から見た世界」の環世界の概念を応用し、人間は環世界移動能力が極めて高いことに注目します。
マダニの例を挙げると、ダニは光・酪酸・体温という3つの知覚標識だけを頼りに生きています。
光を知覚して枝によじ登り、動物から放たれる酪酸を知覚すると落下する。うまく動物の体表に着地できれば、体温が知覚される毛の少ない場所を探して血を吸う。このような知覚と行動のサイクルによって生き抜いています。つまり、ダニは3つの情報のみによって世界を構築し、その世界で生きているのです。
環世界移動能力が高い、とは簡単にいえば、人間はある行動パターンを繰り返し、それが習慣になると、飽きて異なる行動パターン、異なる世界の認知を取り入れて生きていく、ということです。新しいお稽古を学ぶのも、芸術に触れるのも、刺激を求めるのも、今までの世界の認知を相対化して、新しい知覚を手に入れるとも言えるでしょう。
人間は退屈する、だからそこでなにか躍動を、退屈でないことを、異なる世界の知覚を求める。文学や映画のなかでもこういったモチーフに作品が多くつくられました。
川崎市川崎区にて書籍2000冊(頭山満、ユダヤ史、ヨガ、太極拳、クラシック、ピアノ奏法、展覧会図録など)、ユーキャン、CD、DVDを買い取らせていただきました
本を読んでいると、今までなんとなくぼやぼやと考えていたことが、意外なところに文字として表されていて、はっと目が覚めるような感覚が時にあります。
「アフリカの奇跡 世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語」佐藤芳之著
この本はそんな感覚になった言葉が書いてありました。
著者、佐藤芳之さんがアフリカに渡り、会社を企業し、現在も挑戦していく姿。そしてそれまでの軌道、出会いが書かれています。
北朝鮮で生まれ、宮城県で幼少時代を過ごし、インド・パキスタン語を学び、ガーナ大学に通われ、単身アフリカに赴き、世界5大カンパニーの社長となり、遠い国から日本を憂う。
地球規模で活躍されている、壮大なスケールの人生を歩まれてきた方です。
なんてグローバルな人生。私とは全く接点がない。
しかし次の言葉が私をはっとさせたのです
「幸せとは日曜の午後みたいなもの」
著者が飛行機の中の機内誌で読んだ、ブラジルの作家へのインタビュー記事で見つけた言葉だそうです。
幸せってなんなんだろ~とかって、一言で表すのが難しいですし、結論も出ない。
でも、私とは住む世界が違う方が見かけたその言葉にはっとして、やっと同じ世界に住んでいる人なのだった、同じ人だったと、あまり人生経験のある物事がない私にも、僅かではありますが共感を得られたのでした。
意外なところで見かけた文字って印象に残りますね
たまには普段接点が無かったり、自分自身がこれまでスルーしていた分野で活躍されている方の本を読むのも、いいのかもしれません
かこさん
即日出張にて2軒のお宅に伺いました。弱虫ペダル、鋼の錬金術師 全巻セット、PS VITA、最新ゲームソフトを買受け:文京区小石川&千葉市美浜区
「安眠できた」
「イライラが落ち着いた」
「仕事に集中できた」
「元気な気持ちになれた」との声が多く挙がり、リラクゼーション効果があるとして静かな反響を呼んでいる、お経のCD。
日々蓄積した疲労を癒し心身をリラックスさせる手段として、こうしたお経・念仏の旋律を聞く行為も一つの手ですね ( ̄人 ̄)
くまねこ堂ではお経CDの他、仏教書、仏教美術・密教美術関係のお品物、仏像、仏具、仏画・曼荼羅(マンダラ)、経典、香炉、香木、線香なども積極的に査定させていただいております
モモコ
台東区:ビジネス書、実用書、デザイン書、最新の書籍をお譲りいただきました
オーストリア生まれの神秘思想家、哲学者、教育者、心霊主義者、ルドルフ・シュタイナー。その影響は学問領域に留まらず、宗教、芸術、教育、医療、農学など社会的実践の場に於いても大いに示されています。
人気俳優の斎藤工さんも、シュタイナー教育を指針とする学園に通学していたことで知られていますよね
モモコ
【横浜市西区】ワンピース、建築SD選書、ジャイアントキリング、漱石文学館 などをお譲りいただきました!
本日買い取りをさせていただいた中には、綾小路きみまろさんのライブDVDもございました!
綾小路きみまろさん(1950年生)といえば「中高年のアイドル」といわれ、毒舌漫談で大ブレイクした司会者さんですが、長い下積み時代があったことは有名な話になっていますね。
Wikipediaによると大学卒業後1969年にキャバレーの司会者としてデビュー。折しも高度経済成長真っ只中のキャバレー全盛時代!
キャバレーにも、場末の小さな店から一流の大店まで数多くの名店が存在しておりましたが、やはり私が忘れられないのは月世界やミカドなどの赤坂のグランドキャバレーで、当時のサラリーマンたちは「いつかミカドで飲めるようになりたい」と夢を抱いていたそうです。
昭和の代表的なグランドキャバレー・ミカドには、なんと約1500人のホステスさんが在籍し、常時800人ほどのホステスさんが出勤していたんだとか!?
昭和のバブル期エピソードはスケールが違いすぎて、びっくり仰天です!
グランドキャバレーでは夜の蝶たちによる接待ばかりではなく、専属のダンシングチームによるパフォーマンスや一流芸能人を招いてのショーも大きな見ものであり、その出演歌手たちの司会を行っていたのが、きみまろ氏だったそうです。
のちに独立されて、数人の演歌歌手の専属司会者となった訳ですが、地方興行をまめに行う演歌歌手の専属司会者は並大抵の実力ではつとまりません!
この時代に鍛えられた話芸が、現在のきみまろ氏の地位を築き上げたのでしょう。
昔から「客いじり芸」を売りにした芸人さんたちは沢山おりましたが、きみまろ氏の芸風はキワドイことを言いつつも下品さがなく、「芸は人なり」の言葉通り人柄を表しているように感じます。
そしてそして、なんときみまろ氏の趣味は骨董蒐集だそうで、主に生活骨董をコレクションしているのだとか!
より親近感がわきますね(笑)
くまねこ堂では古書、骨董のほかにも、CD,DVDも積極買取をさせていただいております!
byこばちゃん
神奈川県横浜市並木: 図録(日本画、仏像、骨董、中国青銅器など)、白州正子、単行本、竹根の彫物 、平凡社版世界の陶磁などをお譲りいただきました
「定石大事典上巻下巻」「手筋大事典」(日本棋院)、「碁楽選書」(東京創元社)、「最上位1%最強ドリル」(棋苑図書)、誠文堂新光社などの囲碁に関する書籍をお譲りいただきました!ありがとうございました( ◠‿◠ ) !
いつものように検品をしていると、斬新なデザインの装丁を数冊見つけて手が止まりました
それがこちらの写真の「アマ・プロ決戦 ザ・二子局」「プロ・アマ三子局 アマ惜敗譜集」「システム布石」。
なんて壮大なテーマ!(モーゼ、スターウォーズを彷彿とさせる装丁)
手掛けた計良モトヒロ氏に関する情報はネット上にあまり無かったのですが、Facebookの自己紹介によると3DCGデザイナーでブックデザイナーでフォトグラファー。
好きなものは熱燗、刺身、囲碁、サッカー、絵画、彫塑、映画、美脚…
「囲碁」がありましたね。氏の装丁デザインはユーモアの中に囲碁に対する知識と愛情が伺えます
私コロスケ、囲碁のことは全く分かりませんが、囲碁おもしろそうと思ってしまいました
コロスケ
埼玉県:リピーターのお客様より、実用書、ムック本、新刊書、最新の書籍を宅配にて買い取らせていただきました
お客様から『エドワード・ヤン 再考 再見』フィルムアート社 をお譲りいただきました。
最も好きな監督は?と聞かれたら、エドワード・ヤンは最初に浮かぶ何人かの一人であることは間違いありません。イメージフォーラムで観た『恐怖分子』には震えるほど感激しましたし、今年長い時を経て初公開された『台北ストーリー』にも初日に駆け付け、『牯嶺街少年殺人事件』は映写機からスクリーンに光があてられて、無数の観客の後頭部のシルエットが浮かんだ時にはもうその時点でうるうるとしてしまいました。
2007年に59歳の若さで亡くなったエドワード・ヤンがもし生きていたらどんな映画を撮ったんだろうと最近よく考えます。
2011年ころ、シネコン等で上映される日本映画にどうしても満足できず、インディペンデントで製作された映画をうろうろと探しているときに、【空族】というチームで映画を製作している、富田克也監督の『サウダージ』や『国道20号線』、『雲の上』と出会い「こんな映画を日本でもつくれるのだ!」と感激して二日連続で3作品をぶっ通しで見続けました。
彼らは平日は長距離トラックのドライバーとして平日はロケハンをしながら働き、土日には地元の甲府で撮影をしました。その富田監督が空族の映画と併映で企画上映をした中に、タイのアピチャッポン、中国のジャ・ジャンクー、ポルトガルのペドロ・コスタ、日本からは柳町光男などがあり、台湾のエドワード・ヤンもそこで初めて出会いました。
エドワード・ヤンは1947年に台湾で生まれ、アメリカに留学し帰国後に映画を製作しました。『非情城市』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲ったホウ・シャオシェンと並んで台湾ニューシネマの騎手として注目されましたが、代表作の『牯嶺街少年殺人事件』は権利の関係で1998年のリバイバル上映以降、映画館で再上映出来ず未DVD化のままでしたが、どうしても観たくて、新宿の某レンタル屋にビデオを借りにいったことを覚えています(渋谷、新宿、池袋、代官山など都内にはまだVHSをレンタルしている店舗がいくつかあるのです)。本作は全編236分の長編です。
マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーションとクライテリオン社が共同で行ったフィルム修復事業により、「4Kレストア・デジタルリマスター版」として『牯嶺街少年殺人事件』 は甦り、日本でも2016年10月に東京国際映画祭でプレミア上映、2017年に25年ぶりに公開されました。
エドワード・ヤンは都会で映画を撮り続けました。(『牯嶺街少年殺人事件』だけは郊外のような雰囲気が漂ってはいますが)ある癒しとしての田舎と都会という構図にも逃げ込まず、都会で生きる人間たちを過剰に情を持った距離でもなく、冷酷に突き放すこともない距離にカメラを固定で置いて。
今でも覚えているのが遺作となった『ヤンヤン 夏の想い出』の中で、数人が結婚式の打ち上げで騒ぐ部屋の中を、じっと見つめるような絶妙に近くもなく、遠くもない固定で撮られたショットに、最初は、「なんて意地悪なんだ!」と苦笑していたのですが、しばらくすると身の内が震えてきて涙がボロボロと零れてしまいました。決して迎合しない、でも馬鹿にはしないその誠実さをショットに観たのです。
狂乱の、孤独な、変わり続けていく都会を、そこに生きる群像を、ニヒリズムに陥ることなくエドワード・ヤンは撮った。もし彼が生きていたら今、都会はどう映るのでしょうか。
『牯嶺街少年殺人事件』は現在も劇場にかけられており、10月26日~28日には池袋新文芸坐で公開されます。この機会にぜひいかがでしょうか。
この世界がすでに天国だということを取り逃がすときに、わたしたちのあれやこれやの問題が始まる。 エドワード・ヤン
くまねこ堂では、洋画、邦画に限らずアジア映画(ジャ・ジャンクー、アピチャッポン、エドワード・ヤン等)、またパンフレット、映画本も買い取っております。
タテ