古本・なつかしもの屋 くまねこ堂

くまねこ堂・妻のブログ

「PARIS オートクチュール 世界に一つだけの服」に行ってきました


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にゃん母(鹿児島在住)が、東京の我が家に長く滞在して
パンダ子(娘)を見てくれたおかげで、
今回かなり色々な美術館に行くことが出来ました!
すごく勉強になったし楽しかったし、にゃん母には心から感謝です、
またのご上京を心からお待ちしております!!(笑)

すでに、「勝川春章」展「宮川香山」展「近代百貨店の誕生 三越呉服店」展
はご紹介させて頂きましたが、それ以外にも色々行くことができました、
今日から駆け足でご紹介したいと思います。

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こちらの展覧会は、当店のアルバイトさんの1人が
アシスタントとしてかかわっておられるということで、行って参りました♪


PARIS オートクチュール 世界に一つだけの服」 三菱一号館美術館

オートクチュールとは、
Haute=「高い」「高級」・Couture=「縫製」「仕立て」という意味なんですね。
19世紀後半のパリで誕生したオートクチュールは、
パリ・クチュール組合の承認する数少ないブランドにより、
顧客の注文に合わせてデザイナー主導で仕立てる高級服として
知られているそうです。

高級生地を惜しみなく使い、一針一針丁寧に縫製されたオーダーメイドの一点物。
皇室・王室、ファーストレディ、大富豪、女優などの大スター、
といった社交界の花形たちが実際に着用したであろう、
正に「世界に一つだけ」の贅沢なドレスの数々が展示されており、
女性ならば思わず
「ああ、一度でいいからこんなドレスを着て、パーティに颯爽と現れてみたい・・・」
とため息をついてしまうこと確実ですが、さらに
「でもこんな細いウエスト、入らんわーー:kaminari:
と違うため息もついてしまうという・・(いや自分のことです、ふっ・・)

個人的に一番印象に残っているのがこちら。

エルザ・スキャパレリ(1890-1973)という人が
1930年代に作ったイヴニング・グローブで、その名も「爪」だそうです。
キャットウーマン的で面白いですね(笑)

ちなみに19世紀後半に誕生したオートクチュールですが、
現在はどうかといいますと、
「1946年オートクチュール組合に所属しているメゾンの数は
 約100あったと言われています。それが50年代前半には約60にまで、
 90年代にはとうとう18メゾンにまで減少しました。」
(「ファッションプレス オートクチュールの加盟ブランド」より)

なおさら、今回のようにオートクチュールをごく間近で見られるのは
貴重な気がして参ります。

パンダ子通信 2歳:新友達のパンダさん


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おかげさまで、パンダ子(娘)が無事2歳の誕生日を
迎えることができたのですが、
くまねこ堂スタッフの皆さまから大変ステキなプレゼントを
いただいてしまいました!
パンダ子だけに、パンダのぬいぐるみです、
どうもありがとうございますぅぅ!!:naku:

パンダ子とパンダさんは、さっそくお友達になったようでございます
だっこしながら「いち、に!いち、に!」と歩き回ったり、

 

 

寝る前に語り合ったり、

 

 

ないしょ話をしたり、

 

 

猫のお友達を連れて来たり、

 

 

おままごとハンバーガーを食べさせてあげたり、

ご覧のように、すっかり仲良しさんになっております
スタッフの皆さま、ステキな贈り物を
本当にどうもありがとうございました!!

 

おまけです(笑)

江戸東京博物館に行ってきました


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昨日、たぶん3年ぶりくらいに江戸東京博物館に行ってきたのですが、
色々リニューアルもされていましたし、久しぶりであまりに楽しくて、
今日も行ってきてしまいました!:hoshi1:
いやほんとにここは、江戸・明治好きには楽しくてたまらない場所でございます!

ちょうど「えどはく寄席 ファミリー寄席」という催し物をやっておりまして、
昨日も今日もしっかり見てきました、とても楽しかったです!
昨日は鏡味初音さんの「太神楽(だいかぐら)」と、青空麒麟児さんの「紙切り」を、
今日は伊藤夢葉さんの「奇術」と、やなぎ南玉さんの「曲独楽」を見ることができました。

こちらの写真はやなぎ南玉さんの「曲独楽」です。

 

細~い棒の上で独楽を廻して、しかも親指一本で支えているのが
おわかりいただけますでしょうか!

ちなみにバックに写っている建物は、江戸時代にあった芝居小屋「中村座」の
原寸大復元模型です。
中村座は、1893年(明治26年)の火災で惜しくも焼失しました。

江戸東京博物館は、上記のような原寸大復元模型や、
細かいところまで練りに練って考証されたジオラマが多数展示されていて、
とても楽しいですしわかりやすいですよね!
百聞は一見にしかずで、パッとタイムスリップ気分が味わえちゃいます。

 

お江戸日本橋付近の賑わい。(ジオラマ)

 

 

三井越後屋呉服店、現在の三越の前身です。(ジオラマ)
現金掛け値なし」という新しい画期的な商法で、江戸を代表する大店に成長しました。

 

 

こちらは絵草子屋、今の本屋さんですね。(実寸大模型)
江戸時代に実在した、和泉屋市兵衛(四代目)という人がやっていた
お店の店先を実物大で再現したものだそうです。
市兵衛は、当時まだ無名だった初代歌川豊国(1769〜1825)を抜擢し、
役者浮世絵シリーズを刊行したところ大ベストセラーになりました。
豊国は、人気絵師として一世を風靡することとなった後も、
市兵衛への恩を忘れることはなかったそうです。

 

 

時代は明治に移り、「鹿鳴館」!(ジオラマ)

 

決まった時間になると、優雅な音楽とともに天井がウィーーンと開いて、
紳士淑女が優雅にダンスをしている室内を見ることが出来ます!

 

 

かつての浅草名物、「凌雲閣」。(ジオラマ)
明治~大正時代に東京・浅草に存在した、12階建ての塔です。
1923年の関東大震災により建物の8階部分より上が崩壊してしまい、
危険だということで爆破解体されました。

 

 

同じく浅草にあった「電気館」。(ジオラマ)
1903年(明治36年)に日本初の映画専門の劇場として作られ、
大人気を博し、同じ浅草六区にはその後次々に映画館が誕生します。
「電気館」は1976年(昭和51年)に閉鎖されました。

 

 

銀座にあった「朝野新聞社」。(実寸大)
1874年(明治7年)~1893年(明治26年)に、民権派の政論新聞である
朝野新聞(ちょうやしんぶん)を発行しました。
現在の和光の場所にあったそうです。

 

 

あ、そうそう!
そもそも今回「江戸博」に行こうと思った一番の目的はこちらだったので、
こちらもご紹介せねば!

企画展 近代百貨店の誕生 三越呉服店
明治時代の内国勧業博覧会勧工場(かんこうば)の写真をはじめ、
三越における博覧会と展覧会の資料、大正期のおしゃれでモダンなポスターなど、
いろいろ面白かったですし勉強になりました!

ああ~~~、楽しかったなあ~~~
・・・実は昨日今日と2日間行ったにもかかわらず、
結局全部は見きれなかったんですよ
解説パネルもじっくりしっかりすべて読もうと思ったら、
自分は3日間くらいかけないと無理っぽいです:ase1:

パンダ子(娘)と一緒に行けるのはいつになるのかな、まだまだ先よねえ~

パンダ子通信:おまけ


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なぜか最近パンダ子(娘)は、
くまきち(夫)の肩にちょうちょをくっつけるのがブームのようで・・・

というわけで、もしくまきちが買い取り先に
うっかりちょうちょを付けたまま伺ってしまったら、

「ああ、これね・・(´∀`)」

と温かい目で見てやって下さいますよう
どうぞよろしくお願いいたします

パンダ子通信1歳11カ月、般若が好き!


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パンダ子(娘)は、おかげさまで元気にすくすく育っております。
最近「あれはなに?」「これはなに?」と、
しきりに物の名前を尋ねてくるようになりました。
現在1歳11カ月、2歳まであともうちょっとです!

しかし我が子ながら、面白い環境で育っているなあと思います。
下の写真は、買取りで出た明治時代の古い紙物を整理しているくまきち(夫)と一緒に、
仕事のお手伝いをしているつもりのパンダ子。
こんな古い物にこんな小さい時から当たり前のように触れられるなんて、
我が子ながらなんとうらやましい・・

 

箱の中から、「子供の元気はりんごから」と書かれている
りんごの形をした広告を見つけて、嬉しそうに眺めておりました。
「これ、ちょーだい!」と言われましたが、ダメです、これは商品だからね・・(;^^)

 

 

本棚には、私たち夫婦の本も、パンダ子の絵本も一緒になって入っているため、
よく勝手に図録等を取り出してページをめくっております。

 

 

親(私)が好きなものには自然と興味をおぼえるのでしょうか、
能面の本もよく眺めています。

 

 

クレヨンを手に、「のーめん、書いて!」と言われます・・・
絵が不得手なワタクシにとっては非常に難しい課題ですが、
子供の期待にはがんばってこたえてあげねばなりません(汗)

 

特にパンダ子のお気に入りは般若面で、「はんにゃ、書いて!」と言われるので、

 

ヘンな落書き帳だなーーー Orz

しかし般若がお気に入りとは意外でした、てっきり怖がるかと思ったんですが(;^^)
でも確かに一番キャラが立っていて、わかりやすいですよね。

 

「没後100年 宮川香山」展に行ってきました!2


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昨日の記事に引き続き、サントリー美術館で開催中の
「没後100年 宮川香山」展をご紹介させて頂きます。

さて、今回の展覧会で私にとって一番の収穫だったのは、
「高浮彫」以外の香山作品の素晴らしさも堪能できたことでした。
香山といえばどうしても高浮彫のイメージが強かったのですが、
香山は明治十年代半ば頃から、真葛焼の主力製品を
陶器から磁器に切り替えていき、磁器にも優れた作品の数々を残したのだそうです。

香山は真葛窯の経営を二代目に継がせた後、
自身は古陶磁や釉薬の研究に没頭し、新たに釉下彩などの作品を次々と発表して、
「明治日本の力」を欧米に知らしめました。
この頃の欧米では、釉下彩や窯変釉や結晶釉などへの評価が
されていこうとする最中であり、まさに香山はこれをいち早く
取り入れていったのだそうです。


「青華蟹図平花瓶」宮川香山/明治時代中期~後期/田邊哲人コレクション

当時香山の作品は、海外の陶磁器メーカーにも大きな影響をおよぼしました。
あのロイヤルコペンハーゲンとも、万国博覧会を通じて影響を与え合ったそうです。
このコバルトを用いた美しい作品からも、その様子がうかがえます。

側面の3匹の他に、見込みにも2匹のカニさんがいて、可愛かったです(^^)

 

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「釉下彩盛絵杜若図花瓶」宮川香山/明治時代中期~後期/田邊哲人コレクション

「薄くやわらかな花と、生き生きと伸びる艶やかな葉の質感の違いを、
磁器の成形と釉下彩の発色で実現させている点が注目される」(図録より)
薄い紫色が印象的な、非常に気品ある優美な美しさで、
香山がこういう作品も作っていたことに驚いてしまいました。
その淡い美しさは、ともに帝室技芸員だった板谷波山
同じ空気をまとっているかのように感じられました。

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「釉下彩白盛鶏図大花瓶」宮川香山/明治時代中期~後期/田邊哲人コレクション

今回の展覧会で一番最後に展示されていた作品だったのですが、
立体的に表現された鶏の迫力といい、色や絵柄の美しさといい、
圧倒されてしまいました。
「鶏の体を表現している釉下の白盛は、白の重なり具合に
微妙に変化を付けることでその羽根などを立体的にそして繊細にあらわしている。
高い技術がなければ表現できない手法である。
また鶏の目や脚には発色させることが難しい黄色の釉下彩を使用しており、
このことからも香山の技術の高さをうかがうことが出来る。(図録より)」

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記事の最後は、香山自身の言葉で締めくくらせていただきたいと思います。

「輸出品、輸出品と言って、特別に外国向けの品物を作るように思われるが、
 私らにそんな区別はない。
 私はどこまでも日本固有の物を保存したいが一念である。
 日本人は日本特有の美しい物を作れば良い。
 真似事をしたからとて、外国人は見てくれん。
 中国や西洋陶磁の真似をせず、輸入された品位に欠ける材料などを
 安易に多用せず、そして転写や印判ではなく、あくまで筆で描いた
 純粋の日本が良い。」


宮川香山(1842 – 1916年)

昨日と今日の記事は、展覧会の図録とチラシと音声ガイドを参照しながら
 書かせて頂きました)

「没後100年 宮川香山」展に行ってきました!1


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サントリー美術館で現在開催中の、
「没後100年 宮川香山」展に行って参りました!

真葛焼(まくずやき)の創始者である宮川香山(みやがわこうざん/1842 – 1916年)は
自分が個人的に好きな陶芸家の1人でありまして、
展覧会は以前も見に行ったことがあるのですが、やはり何度見てもシビれます!

(以下、図録・チラシ・音声ガイドを参照しながら、
 面白エピソードも交えてご紹介させて頂きます)

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香山といえば、まずはやはり、超絶技巧の高浮彫からご紹介しなくてはならないでしょう。
明治時代、香山は、陶器の表面を彫刻したり、細工した造形物で装飾するなどした
独創的な技法「高浮彫」を生み出し、「真葛焼」として売り出しました。
超絶技巧の限りを尽くした香山の作品は「マクズウェア」と呼ばれて
またたく間に欧米諸国を席巻して絶賛を浴び、
万国博覧会や内国勧業博覧会で受賞を重ね、
「けだし見る者、その価を問わず購入せしめんとす」
と、値段に関係なく競って購入されたといいます。


「高浮彫四窓遊蛙獅子鈕蓋付壺」宮川香山/明治時代後期/田邊哲人コレクション

こちらは、私がたぶん個人的に一番好きな作品でございます:hoshi1:
胴部の各面の4か所、楕円形に大きく窪ませており、
その中では可愛らしいカエルさん達が思い思いの時間を過ごしています
なんともユーモラスで可愛らしく、
また細部まで精密に施された細工や模様には感嘆する他ありません。

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当時海外で、真葛焼がどれほど人気があったかを伺わせる
興味深いエピソードがあります。

明治26年(1893年)に開催されたシカゴ・コロンブス万国博覧会に、
香山は日本と中国の国宝級の陶芸品20種類以上を彫刻にして装飾した、
大きな花瓶一対を出品しました。
この作品は大変制作に苦労し、完成までになんと8年(!)もの歳月を要し、
制作が終わった後に香山は病気になってしまったほどだったそうです。

博覧会に出品した結果は、欧米人から「世界の陶器王」とまで称せられ、
名誉金牌を受賞して高い評価を得、買い手が多くつきました。
中でも2人のアメリカ人が、この花瓶の購入を巡って争うことになりました。
問題が大きくなることを懸念した香山は、一体どうしたでしょうか・・・!?
なんと現地にいた、後の2代目となる宮川半之助の手によって、
作品は粉々に叩き壊されたのだそうです!!

8年もの歳月をかけて精魂込めて作り上げた作品を粉々にしてしまうとは、
自分のような常人にはまったく想像もつかぬことであります・・・orz
その心中はいかばかりかと思うのですが、後に香山本人はこう語ったそうです。

「おかげで平和に解決できたばかりではなく、私の信用は以前にも倍して
 加えられたから、非常に愉快に思ったのである」

色んな意味で凄いです、恐るべし宮川香山!(汗)
しかし一体どんなにか素晴らしい作品だったことでしょう、
見たかったですよねえ・・

(この逸話は、「帝室技芸員逸話 花瓶を粉砕して日本魂を示す」
 『日本美術協会報告 第百十九号』明治31年 に載っているそうです)

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「高浮彫桜ニ群鳩大花瓶」宮川香山/明治時代前期/田邊哲人コレクション

もう一点、高浮彫の作品をご紹介いたします。
鮮やかに咲く桜の花や枝ぶりといい、各花瓶3羽づつ配置された鳩といい、
本当にリアルによくできています!
有識文様や全体に広がる金彩、咲き誇る黄色や赤の花もゴージャスで、
きっと外国人好みのデザインなのでしょうね。
こうした複雑な立体装飾を割れないように焼成するのは至難の技で、
香山の並はずれた技術力の高さがうかがえるということです。

明日に続きます!

勝川春章の生誕290年記念展覧会、ダブルで行ってきました!


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出光美術館で現在開催中の、
生誕290年記念 勝川春章と肉筆美人画-<みやび>の女性像
に行って参りました!

勝川春章(1726年?- 1793年)は江戸中期を代表する浮世絵師であり、
葛飾北斎の師匠としても知られています。
また、明治~昭和の美人画で頂点を極めた鏑木清方
「肉筆(美人画)は、やっぱり春章が一番うまいと思う」と言って
春章の絵を信奉していたことも有名です。

今回は、その春章の肉筆美人画の数々を見ることができるまたとないチャンス!
大変優美で美しい、すてきな展覧会でありました

図録から、ほんの少しだけですがご紹介させて頂きます。

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「桜下花魁図」勝川春章(1787,88年頃)太田記念美術館

桜がひらひらと舞い散る中、静かにたたずむ一人の花魁。
その静謐な美しさは、見ていてしばし時の流れを忘れてしまいました。

桜の花や、後ろの簾(すだれ)、
着物の細かい模様まで細密に描きこまれ、
腰のあたりから垂れ下がる金糸の一筋一筋も丁寧にあらわされています。

花魁の静かな眼差し、その胸中に去来するものは一体何なのでしょうか・・
見る者の心の中に、深い余韻を残します。

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春章がこのような肉筆美人画を手がけるようになったのは、
その画業においてかなり後半、晩年期になってからでした。
それまでは、役者絵・美人画・相撲絵・武者絵・風景画などの版画で人気を博し、
名実ともに当時を代表する浮世絵師となった春章ですが、
名声を得て以降はそれら版下の仕事を弟子たちにほとんど譲り渡し、
自らは精緻で優美な肉筆美人画の制作に専念するようになったそうです。

ところで、こんな資料があります。(図録より)
春章の死後に出版された、
「諸家人名 江戸方角分」(瀬川富三郎編・1818年頃)という、
江戸各所に住む著名人を職業などとともに収録したものだそうですが、
これを見ますと画家は黒丸(●)で、浮世絵師(浮世画)はバツ印(×)であらわされています。
当時浮世絵師は画家よりも立場が低く見なされていた側面があり、
このあたりも、春章が晩年に肉筆画に専念するようになった動機の
一つであったかもしれません。

ちなみに春章は、職業が「●(画家)」であらわされており、
彼の作品に対する当時の高い評価がうかがえます。

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さて今度は、先ほどの静謐な美人画とはガラリとタイプの違う、
アクティブな美人さんをご紹介してみようと思います(^^)


「石橋図」勝川春章(1783-87頃)

能や歌舞伎でおなじみの主題ですね。
右手に持った牡丹の花が風圧でしなっている様子などから、
躍動感のある踊りの動きが伝わってきて、
艶やかさと共に生き生きとした生命力を感じさせる絵でした!

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「見立江口の君図」勝川春章(1789-92頃)

能「江口」でよく知られております、遊女・江口の君。
物語の最後で、江口の君は自らの姿を普賢菩薩に変え、
乗っていた舟は白象となり、西の空へと去っていきます。

ボワワワンと湧き上がる雲とともに空中に浮かぶ姿は、
非常に臨場感があってドラマチックでした。
あと解説板に、「着物の白地に白い絵の具を重ねた模様」について
書いてあったので目を凝らして見てみたら、
薄~い色で精密な模様がビッシリ描かれてあってびっくり!
細かいところまで妥協を許さない春章の姿が伝わってきました。

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今まで自分の中では、有名浮世絵師たちの中において
勝川春章の名前は地味なイメージがあったのですが、
今回の展覧会を見に行ってそのイメージがガラリと変わりました。
見に行くまでは正直、
「女性の絵ばっかりか~、同性だから途中で飽きちゃいそうだなあ(;^^)」
などと思っていたのですが、実際に実物を見てみると、
その品格のある優美な美しさと、一筆一筆細かいところまでおろそかにしない
精緻な描きこみに、最後までまったく飽きることなく見入られてしまいました、
いやあ素晴らしかったです!
・・いつか春章の肉筆画を、この手にできることを夢見つつ・・

「ハードル高いなぁっ(;;;゜ω゜)」 「ねばーぎぶあっぷ!(`∀´)9」

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そして今、太田記念美術館のほうでは、
生誕290年記念 勝川春章 北斎誕生の系譜
が同時開催されております。
こちらで展示されていたのは肉筆美人画に至る前の版画だったので、
春章の歩んだ道のりをしっかりと知ることができて興味深かったです。
ぜひ両方合わせて足をお運び下さいませ、
片方の半券を受付で表示すれば、100円割引してもらえますよ!

 

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