くまねこ堂・妻のブログ
モフモフおしり枕(猫) /東京都千代田区一番町で出張買い取りでした。
カテゴリー/東京都/出張買い取り/東京都中央区/当店の癒しの看板猫/くまねこ堂通信
冬の我が家でよく見られる光景。
きっとあったかくて気持ちいいんだろうな、高さ的にもちょうどいいし(笑)
猫だから許される光景!!(人間だと・・ちょっとね・・(∥´∀`))
ひな人形が出しっ放しだと婚期が遅れるの謎
カテゴリー/レジャー/くまねこ堂通信
三井記念美術館で開催中の、「三井家のおひなさま」展に先日行って参りました。
会場では、歴代の三井家の女性たちが大切にしてきた、ひな人形やひな道具をはじめ、
愛用の市松人形や御所人形なども公開されており、
華やかで愛らしい人形の数々が見る者の目を楽しませてくれます。
中でもこちらの人形が秀逸でした。
「市松人形 銘つぼみ」五世大木平蔵製・二代平田郷陽作
くまきちも、「見てると鳥肌が立つくらいすごい!(;;゜ω゜)」と感嘆しておりました。
2013年10月09日の記事で、幕末~明治の「生き人形(活人形)」のことを
少しご紹介しましたが、その生き人形を彷彿とさせるすごさがありました。
お顔の肌とか、まるで生きた人間のように生き生きとしています。
作者の平田郷陽(1903年 – 1981年)は、人形界で初めて人間国宝に選ばれた
かたでございます。
郷陽のお父さんが、生き人形の第一人者だった初代・安本亀八のお弟子さんだったため、
生き人形の製作技法を習得しました。
戦前のごく短期間のみ市松人形を製作しており、現存数は少ないそうです。
(「なんでも鑑定団お宝情報局 平田郷陽の市松人形」より)
いつか買い取りで入ってこないかな!!
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ちなみによく、「ひな人形を出しっぱなしにすると婚期が遅れる」などと言われますが、
なぜそう言われるようになったのでしょうか
「小笠原流礼法の子育て」という本を読んでいましたら、
ちょうどそのわけが書いてありました。
もともとひな人形というのは、紙で出来た人形(ひとがた)や衣類に身体のケガレを移して、
川や海に流すという儀式がもととなっています。
本来は厄ばらいして川や海に流してしまう人形なわけで、
それがいつまでも家の中に出してあっては、厄をはらったことにはならないのですね。
なので形の上でも完了させるために、すぐに片付ける必要があるというわけです。
また、男びなと女びなの位置についても興味深いことが書かれていました。
古来日本では中国にならって、左側(=向かって右)を上位としていたため、
男びなは向かって右側、女びなは向かって左側に置かれていました。
しかし昭和以降、昭和天皇即位のときに洋式が採用されて、
天皇が向かって左、皇后が向かって右に立たれていたので、
関東式は男びなが向かって左、女びなが向かって右になったということです
(関西の京風では古式にならっているため、位置が逆)。
西洋式では中世の騎士が婦人を守る場合、左腕に抱きかかえて守りながら
右手で剣をふるったから、男は女性の右に立つものとされていました。
つまり、唐制にならった左上位の置き方が京風で、
昭和天皇御大典以来西洋式のやり方にならったのが関東風なのですね。
「小笠原流礼法の子育て‐日本の伝統行事から学ぶ十二か月」
著:柴崎直人/じゃこめてい出版
南方熊楠、チャリネに雇われる
カテゴリー/本・古本・古書/くまねこ堂通信
2014/1/26の記事で、明治19年(1886)にイタリアから来日して
日本に大反響を巻き起こしたサーカス団、チャリネ一座の浮世絵をご紹介しましたけれども。
今日、「明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか」(著:大島幹雄/祥伝社)
という本を読んでいたら、
なんと南方熊楠が一時期このチャリネ一座に雇われていたとの記述があり、
びっくりしてしまいました
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外国から来たサーカス団が帰国するとき、日本の芸人を何人か雇い入れることは
たびたびあったのだが、このチャリネサーカスも、日本で曲馬師の川村駒次郎、
足芸の長谷川長次郎、豊岡新吉、象使いの百済与一(くだらよいち)の
4人を雇い入れ、南米公園に同伴している。
さらに西インド諸島を巡回中にチャリネサーカスは、キューバを放浪中の南方熊楠を
雇っているという話も残っている。
熊楠は、1891(明治24)年10月から12月にかけての二カ月あまり、
百済与一の助手として働いていた。熊楠は、象が載る碁盤を出す係をしていたらしい。
そのほかにも得意の語学を生かし、団員のために手紙の代筆などもしてやって
重宝されたという。
熊楠が柳田國男に宛てた手紙に、こんな一節がある。
「明治二十四、五年ごろ、小生キュバ島その他にて落魄(らくはく)して
曲馬師の巣中に寄生しことあり。
小生は各国の語を早く解し、ちょっと埒の明きやすき男で、郷に入れば郷に従えとあきらめ、
曲馬中の芸女のために多くの男より来る艶簡(えんかん)を読みやり、
また返事をその女の思うままにかきやり、書いたあとで講釈し聞かせ、
大いに有難がられ、少々の銭を貰い、それで学問をつづけたること久かりし」
(抜粋)
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それとこの本を読んで初めて知ったのですが、
当時(幕末から明治にかけて)の日本の軽業師・曲芸師・手品師たちの技は、
欧米のサーカス芸を凌駕する並はずれたものであり、
彼らが披露した日本古来の伝統芸は当時の欧米の芸人たちに強い衝撃を与え、
様々な影響を与えたそうです。
すごかったんですねえ、、、
アルバイトさん募集!
カテゴリー/くまねこ堂通信
お知らせ:
アルバイトさんを募集します、詳しくはこちらからどうぞ!
(※応募は締め切りました、どうもありがとうございました)
古本・骨董・レトロ品などお好きなかた、
真面目で誠実にお仕事して下さるかた、
ぜひご応募お待ちしております!
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大きな猫のひな壇に、猫型の雪だるまが飾られています!
昨日の夜、アルバイトのニーミン(♂)とお友達が作ってくれたのだそうです。
みんなの目を楽しませてくれました、粋なプレゼントをどうもありがとう!
北町一郎「東京探偵局」昭和15年発行 /東京都江東区で出張買取でした
カテゴリー/東京都/出張買い取り/本・古本・古書/江東区
「東京探偵局」著:北町一郎/婦女界社版/昭和15年発行 が入荷しました。
扉の絵もレトロな感じで、いいですね~
東京丸の内の堂々たる”ビルデング街”に”東京探偵局”という事務所を構え、
所員800名(!)とあらゆる科学的方法を駆使し、いかなる難事件もたちまち解決。
本物の警視総監から”街の警視総監”として一目も二目も置かれている名探偵、
それがこの”樽見樽平”なのだ!!
・・予想外に、かわいいおじちゃんでございます!(笑)
名探偵といってもシャーロック・ホームズや明智小五郎のような感じではなく、
おっちょこちょいでそそっかしい、非常にユーモラスでとぼけた名探偵なのであります。
そしてこの樽見樽平氏が、セーラー服を着て女子学生に変装してもバレない(!!!)など、
なんとも荒唐無稽な内容なのでありますが、
ユーモアミステリとして楽しく読むことができました。
このあたりについては、作者としてはこんな意図があったようです。
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日本の探偵小説は、すぐれた作家たちによって、すぐれた作品が多くつくられ、
同時に主人公になる馴染の探偵も多く創造された。
その中へ、チンピラ男の樽見樽平を押しださうなどといふ野心を、私は示さうというのではない。
ただ私の不満とする所は、日本の探偵小説が医学系統の作家の多かった関係か、
陰惨で不健康な方面が伝統的に多かったことである。
探偵小説と云へば、何かグロテスクなもの、残忍なものを想像させたり、
所謂探偵小説的な体臭を滲みこませたスタイルが多いと思ふ。
勿論かういふ種類でないすぐれた作品も数多くはある。
そこで私は、現在私共が最も心がけるべき防諜観念にもとづいて、
スパイに関する題材をあしらひながら、なるべく明るい面へ筆をむけるやうにした。
そしてその中心へ樽見樽平を据ゑた。この男を私は限りなく愛してゐる。
(作者後記より抜粋)
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大雪ですーー!! /東京都中央区日本橋で出張買取でした
カテゴリー/東京都/出張買い取り/東京都中央区/くまねこ堂通信
「雪だ―――!!!ヽ(≧∀≦)ノ」
「ヒイィィ~~~(∥゜ω゜)」
今日は朝から、東京は大雪でありました!
ワタクシなぜか子供の頃からずっと雪大好き人間
で
(普通は子供の頃に卒業するようですが 笑)、
雪が降るとワクワクして、そこいらを歩き回りたくてしかたがないのですが、
・・さすがに現在は身重の身、そんなわけには参りません
そこで、今日は近場(日本橋)の買い取りを1件だけ済ませて
早くに帰ってきたくまきち(夫)をつかまえて、
「やっぱりキタ━━━━(∥゚ω゚)━━━━!! 」
というわけで、お夕飯のお買い物を兼ねて、日本橋へGO!(←くまきちは今日2度目 笑)
ちなみにもちろんタイヤはちゃんと、冬用タイヤでございます。
そこはもう一面の銀世界
横なぐりに吹きすさぶ、まるでブリザードのような吹雪
「運転怖えぇぇぇぇ!!(;;;OωO)」
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そして、午後10時現在の外の様子です。
まだまだ、降り積もっています!
小さいながらも、つららが!
明日の朝とか、どうなっちゃうんでしょう・・(汗)
出勤のかた、お気をつけて!!
沖縄専門書、蛇腹カメラ、市松人形ほか
カテゴリー/遺品整理/本・古本・古書/骨董品・古いもの/くまねこ堂通信
ご無沙汰いたしております。
もうじき妊娠9ヶ月目に突入です。
・・貧血やら、お便秘やら、色々とマイナートラブルに悩まされておりますが
まああと2ヶ月、のんびりいきます、、、
最近の買い取り品を一部ご紹介です。
沖縄に関する専門書がたくさん入荷いたしました。
お譲り頂いたお客様には、買い取り後にご丁寧なお礼のメールもいただきまして、
嬉しく拝見いたしました、どうもありがとうございました!
古い蛇腹カメラ(スプリングカメラ?)です、ノスタルジックで素敵!
大正時代くらいのものでしょうか?
カメの小さな小さな人形です(指の大きさ参照!)。
鼈甲で出来ているので、一瞬本物みたいでギョッとします。
箱もきれいです。
硯(すずり)。これは裏面です。
市松人形。
お顔もキレイな状態で残っています、
着物も細かいところまで素敵です、帯も。
くまねこ堂:スタッフ紹介
カテゴリー/くまねこ堂通信
店主:くまきち(渡辺隆之)(♂)
古物商歴28年目、今まで約1万件の
出張買い取りに伺っています(2020年現在)。
21歳のときに古本屋の仕事を始めていらい古物の業界一筋、
その後、古書以外にもレトロおもちゃ・骨董品・美術品・古道具など
次々に興味と仕事の幅を広げ、現在のくまねこ堂に至ります。
東京都古書籍商業協同組合の元理事。
子供の頃から色々な知識の収集が好きだったといいますから正に天職、
”趣味は実益を兼ねる”を地で行っています、
お仕事が楽しくて仕方がないようです
大量の荷物の整理や、遺品の処分などに困っておられたお客様に
「助かりました!」と感謝していただいたり、
捨てられそうになっていた物の中から、文化的に貴重な品物を見つけ出して救出したり。
そんなときが、出張買い取りのお仕事をしていて一番幸せを感じるそうです
仕事関係以外で好きなこと:
おいしい物を食べる、甘いもの、温泉、
虫捕り(しばし眺めたら逃がしてあげます)、無心にRPGをやる(〃 -`ω´-)
「妻ブログ」の書き手です。
東京芸大の声楽科卒。
子供の頃から本や古い物が大好きでしたので、
毎日様々な商品が入ってきて手に取ることができるくまねこ堂のお仕事は、
知的好奇心にあふれていて非常に楽しいです
好きなもの:
生き物、読書、能楽、日本の伝統文化、オペラ、ミュージカル、サイレント映画、
日本の歴史、江戸時代~明治時代の日本画、幕末明治の工芸品など
そして日々の買取業務のサポートや、事務作業などをこなして下さる、
頼れる社員さん・アルバイトさん達がいらっしゃいます!
皆さんの活躍ぶりはぜひ「スタッフブログ」でご覧下さい!
明治時代のサーカス「世界第一チャリネ大曲馬」浮世絵
カテゴリー/古い紙物類/くまねこ堂通信
昨日に引き続きまして、浮世絵(錦絵)のご紹介です。
明治19年(1886)にイタリアから来日したサーカス団・チャリネ一座は、
日本に大反響を巻き起こしました。
そのチャリネ一座の様子を、今に伝えてくれる浮世絵です。
「世界第一チャリネ大曲馬」歌川正信(梅童政信):明治19年
まず、様々な動物たちが目を引きます。
馬、トラ、猿、象、ライオン、大鳥(ダチョウでしょうか?)、
きっと当時の日本人は見たこともない猛獣がいたことでしょう。
人間の芸としては、チャリネ一座の代名詞でもあった曲馬をはじめ、
軽業、体操、道化、一本足の人の芸などが描かれています。
鮮やかなピンク色がまぶしいですね、
当時の華やいだ空気を伝えてくれます。
追記:このチャリネ一座、一時期なんと、あの南方熊楠を雇っていたらしいです!
(2014/2/17の記事参照)
明治時代の吉原遊郭「角海老楼」浮世絵 /東京都江戸川区、千葉県浦安市で、バンドスコア、ムック本、赤本、CD、DVD、音楽DVD、写真集、荒俣宏図鑑、世界の名著、日本の名著などお譲り頂きました
カテゴリー/東京都/出張買い取り/古い紙物類/江戸川区/くまねこ堂通信
浮世絵(錦絵)が数十枚、まとめて入荷しました。
こちらは、楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ)の「里の花廓の賑」(明治22年)という作品です。
あでやかな花魁たちがズラリと並び、華やかな絵ですね。
着物の柄も、大胆で実に豪奢です。
花魁たちの名前を見ると、「角海老 小蝶」「角海老 海老羅」「角海老 金龍」などの文字が
書かれています。
角海老ってなにか意味あるのかな?とググってみたら、
ウィキペディアに載っていました。
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吉原遊廓に存在する屋号。
明治時代に吉原で奉公していた宮沢平吉が「角尾張楼」という見世を始め、
その後「海老屋」という見世を買い取り、
そこに「角海老楼」という時計台付きの木造三階建ての大楼を建てたのが起源とされる。
当時の「角海老楼」は総籬の高級見世で、
歴代の総理大臣が遊びに来るような格式の店であったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E6%B5%B7%E8%80%81
また、こちらの「明治の時計塔」というページ
http://www.kodokei.com/ot_014_9.html には、
明治当時の「角海老楼」の姿が載っていました。
当時、角海老楼の時計塔は東京名所で、
樋口一葉の名作「たけくらべ」(明治27年)に
「朝夕の秋風身にしみ渡りて・・・
角海老が時計の響きもそぞろ哀れの音を伝へるやうに成れば・・・」
という叙述があるのだそうです。
余談ですが、今回の買い取りで入ってきた浮世絵の大半には、
裏面にこんな風に証文がびっしり貼られ、紙が補強されていました。
こうやって裏打ちされちゃうと、商品としての価値はぐっと下がってしまうので
くまきち(夫)は残念がってましたが(笑)
明治30年代の証文です、ちょっと面白いですね。