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蒔絵アルバム(明治時代)がやってきた!

カテゴリー/古い紙物類骨董品・古いものくまねこ堂通信


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大変ご無沙汰しております。
パンダ子(娘・3歳)が4月に幼稚園に入園して母子共に新生活が始まり、
慣れない毎日にすっかりバタバタしておりました:kaomoji1::ase1:
おかげさまで、元気にやっております。

さて先日、宅配買取で大変興味深いお品物をお譲りいただきましたので、
ぜひご紹介させていただきたいと思います。

表紙:

この写真を見てすぐにピンと来た方は相当の古い物通、
これは通称「蒔絵アルバム」と呼ばれる、明治時代に爆発的に売れた
外国人向けの写真集です。

サイズは27.5㎝✖35㎝、大きくてかなりズッシリと重みもあります。
表紙には蒔絵で絵が描かれ、象牙と螺鈿で立体的な彫刻が施されています。

 

裏表紙:

 

さて、「蒔絵アルバム」とは一体どういうものなのでしょうか?
「幕末漂流」著:松本逸也という本にわかりやすい概要が載っておりましたので、
一部を抜粋させていただきます。1993年発行の本です。
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パリやロンドンから、明治二十年から三十年代にかけて、
横浜居留地を中心に爆発的に売れた「蒔絵(まきえ)アルバム」が、
今、続々、日本に里帰りしている。
これは、当時、日本を訪問する外国人が、異国情緒たっぷりのこのアルバムを
土産として持ち帰ったものを、今度は、現代の日本人が、海外に旅をして、
パリやロンドンの蚤の市などでアルバムを見付け、買い戻すといったことによる。
こうして、百年前のニッポンが、日本人の手によって再発見されるという
妙な現象が、今、起きているのである。

(中略)

さて、「蒔絵アルバム」。
外国人観光客目当ての豪華アルバムのことで、
日本紹介の名勝風景、社寺、風俗、人物などの着色写真を約百枚張り付け、
木製の表紙を漆と金銀粉、摺(すり)貝などの絵模様で飾ったものである。
主に横浜で大量に作られたことから、前出の小沢健志教授(写真史)が
「横浜写真」と命名し、今ではこの言葉が定着している。

営業写真であるため、どうしても商業性が強く、未知の東洋への
異国的興味にこたえた演出が目立つ。
とはいえ、この蒔絵アルバムこそが、幕末、明治の日本を映像で伝えるもので、
資料性は高く、極めて貴重だ。
このアルバムのおかげで、こうして百年後の現代人に当時の生活をうかがい
知らせてくれるのである。

このアルバム制作のパイオニアの一人は、横浜居留地内にあった
ベアトの写真館を引き継いだオーストリア人写真師スティルフリードである。
(中略)
このアルバム販売で材を成した営業写真師には、スティルフリードの後を引き継いだ
金幣商会の日下部金兵衛や、ファサリ商会のファサリがいる。
共に横浜で店をはり、「横浜写真」の双璧である。
日本画の絵師を着色師として雇い、最盛期には三十人もずらりと並び、
四ッ切りの白黒写真に彩色を施すといった繁盛ぶりで、
ひたすらアルバムを製造しては売りさばき、大もうけした男たちである。

「幕末漂流」著:松本逸也より

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今回お客様にお譲りいただいたアルバムには、
50枚の写真が収録されております。
私は江戸~明治時代あたりになぜか昔から愛着があり、
このアルバムが届いて
自分の手で表紙を開いたときは感動いたしました (*´-`*)ジーン…

普段手にする明治時代の写真といえば普通のL判くらいのサイズなのですが、
このアルバムの写真サイズはいずれも21㎝✖28㎝と大きく、
その迫力と美しさには目を見張るものがありました。

元の持ち主様のご好意で、このたび幣ブログに
これら50枚の写真をすべてご紹介させていただきます!
いわゆるこういった「横浜写真」は、スタジオでポーズを取った演出写真も
あるのですが、その事を考慮に入れましても、
明治時代の人々の息吹や空気を身近に感じることができる得難い資料です。
当時の風俗や風景を少しでも多くの皆様に感じ取って楽しんでいただけたら、
誠に嬉しく幸いでございます。
明日から1日10枚ずつ、アップさせていただく予定です、
ぜひどうぞお楽しみに!!:hoshi1::hoshi1: 

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本記事の参考文献:

:nikukyu:「幕末漂流」著:松本逸也/人間と歴史社


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リピーターのお客様に、たくさんの猫&犬フードをご寄付いただきました!

カテゴリー/くまねこ堂通信


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かれこれ7,8年くらい前からの長きに渡って、
折にふれ出張買い取りに呼んで下さっている
リピーターのお客様がいらっしゃいます
(いつも本当にどうもありがとうございます、当店を支えて下さり
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです)。

そのお客様が動物にたずさわるお仕事をなさっていた関係で、
先日の買い取りの際にたくさんのキャットフード&ドッグフードを
お譲り下さいました、全部で200個近くあります!

キャットフードのほうは、キョーコさん(当店のアルバイトさんです)が
ボランティア活動で協力をしている「公園の猫たち」さんに、
早速寄付をさせていただきました!
(「公園の猫たち」さんのブログでも、ご報告の記事を載せて下さいました!)

ドッグフードのほうは、「犬と猫のためのライフボート」さんに
寄付をさせていただきました!

このたびはお気遣いいただきまして誠にどうもありがとうございました、
心から御礼申し上げます。
そしてこれからもぜひどうぞよろしくお願いいたします

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ここで、現在「公園の猫たち」さんのシェルターに保護されていて、
良き飼い主さんとの出会いを待っている保護猫さん達の一部を
ご紹介させていただきます。
もしこちらの猫ちゃんたちにご興味がある方は、
ぜひ「公園の猫たち」内の”譲渡要項・お問い合わせ先”をご覧下さいませ。
1匹1匹の猫ちゃん達に幸せな出会いがありますよう、心から祈っております!

(以下、文章と写真は、キョーコさんにいただいたチラシを参照しております)

:nikukyu:ふくちゃん(左)・しまちゃん(右)

先月の3/11に保護され、日付にちなんで命名されました。
顔がよく似ているので兄弟と思われますが、二匹ともキズだらけの状態で
保護されました。不衛生なキャリーバッグで捨てられていたため、
多頭飼い崩壊で捨てられた可能性が高いです。

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:nikukyu:キキちゃん

江東区立若洲公園のキャンプ場で保護されました。
人馴れしていて甘えん坊です。

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/

:nikukyu:ゆきちゃん

キャリーバッグのチャックを開けた状態で放置され、
怖くてバッグから出られないでいたところを保護されました。
その体験のためか怖がりさんで、いただきますは「シャー!」です。

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:nikukyu:つきちゃん

譲渡会で皆さんに抱っこされて人気がありますが、
生まれつき斜頸があるため健康面でリスクがあり、まだ家族が見つかりません。
(※現在飼い主候補のかたが見つかり、トライアル中だそうです、がんばって!)

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:nikukyu:さくらちゃん

焼肉屋さんの天井裏から保護されました。まだ人見知りします。
(※現在飼い主候補のかたが見つかり、トライアル中だそうです、がんばって!)

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:nikukyu:アカちゃん・チビちゃん

スコティッシュのような耳の黒猫のアカちゃんと、黒白八割れのチビちゃん。
飼い主さんが癌になってしまったため、シェルターで引き取りました。


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「並河靖之 明治七宝の誘惑-透明な黒の感性」展に行ってきました

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東京都庭園美術館で開催中の、
並河靖之 七宝 明治七宝の誘惑-透明な黒の感性」展に行って参りました!

明治時代、七宝は輸出用美術工芸として人気を博しました。
その中でも並河靖之(1845-1927)は、繊細な有線七宝により
頂点を極めた七宝家です。
国内外の博覧会で成功を収め、工房には外国からの文化人が多数訪れ、
「KYOTO NAMIKAWA」ブランドは海外でも高い評価を得ました。
1896年には帝室技芸員に任命されています。


並河靖之(1845-1927)
(後ろの屏風は、国内外の博覧会で受賞した賞状を貼り交ぜてあるのだそうです。)

並河靖之の作品は、自分はいくつかの展覧会で少し見たことがあるのですが、
並河作品がこれだけ一堂に会した展覧会を見るのは初めてで、
楽しみにしておりました。
そして今回の展覧会は、じゅうぶん期待して行ったにもかかわらず
それ以上の素晴らしさで、
超絶的な技巧のみならず、余白を生かした優美な絵柄と色彩、
日本らしい花鳥風月の繊細な美しさなどに、
何度も感嘆のため息をもらしてしまいました。

いくつか写真を載せますが、気の遠くなるような技巧の細かさも、
並河独特の技法による釉薬の美しさも、
到底写真では表し得ませんので、実際に会場に足を運んでいただけることを
ただただ願うばかりです!(あと6日しかありませんけど!:naku:


並河靖之「藤草花文花瓶」明治後期/並河靖之七宝記念館

並河といえば、この黒!
この艶やかで気品あふれる深い黒色、
有線技法の図柄を引き立たせる地色の美しさが有名ですが、
近年の科学調査により、黒一色を使っているわけではなく
深い藍色と黒を重ねるなど、複数の色を使っていることが
判明したそうです。

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並河靖之「花桐蝶文大花瓶」明治後期-大正時代/並河靖之七宝記念館

緑の地色も素敵ですよね!
そして植線の太さを変えることにより葉の葉脈が表現されていたり、
花びらや枝にも繊細なグラデーションが施されていたり、
とにかく驚くよりほかない技の細かさです。

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下は、並河の七宝工房(多いときには40~50人ほどの職工たちを抱え、
集団で七宝作品の制作を行っていました)で実際に使われていた
釉薬見本だそうです。
一つの花瓶の中で、緑色だけで15色もの色を使い分けて
グラデーションを作り出していたのですね(驚)
ちなみに並河が使っていた釉薬は粉状で、現在使われている釉薬よりも
粒が細かいのだそうです。
だからあれほど美しい繊細な色彩が表現できたのでしょうね。


釉薬見本(桐花瓶用別口葉色ボカシ)
並河工場/1921(大正10)年9月16日/並河靖之七宝記念館

ちなみに庭園美術館内の「新館ギャラリー2」で、
現代の七宝家による並河の技術解説が実演とともに上映されており、
並河工房の卓越した職人技をわかりやすく知ることができ大変勉強になりました、
ご来館の際にはぜひとも忘れずに足をお運び下さい!

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今回の展覧会では下図も多数展示されており、
作品の制作過程を知る上で大変興味深かったです。
下図の時点で、すでに美しい世界が作り出されておりました。

色の指示も細かく指定されていてすごいです。
下の部分は口縁(器の口の部分)の色指定です、
こんなわずかな部分にもこれほどたくさん色が使われているのですね!

下図「ボーダー文様」並河工場画ノ部/明治時代/並河靖之七宝記念館

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並河靖之「梅鶯模様七宝小花瓶」大正時代/泉屋博古館分館

京都並河の七宝はその大半が海外向けに制作・販売されていたために、
日本国内でに残されている作品はごくわずかである。
本作は、大阪住友家旧蔵の、日本国内に残された貴重な一点である。
並河家の芳名録には明治42(1909)年に住友家が並河邸を訪れて
複数の七宝を購入した記録が残されており、
同作がその際に購入されたものかどうかは定かではないものの、
当時の住友家の関心を伺うことができる。(図録より)

高さ15センチほどの小品ながら、
漆黒の並河ブラックも瀟洒な絵柄も美しく、
小さな小さな梅の花のグラデーションも見事で、印象に残った一品でした。

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それと今回の展覧会で興味深かったのが、
まだ初期の頃の並河作品も見ることができたことです。
初期作品は、まだ釉薬や彩色の技術も不十分で、
絵柄も「余白の美」に到達していなかったりと、
円熟期の並河作品とは印象がだいぶ違って驚きました。

武家出身の並河が明治維新後に七宝の世界に飛び込み、
知識や資材の無い中、懸命な試行錯誤と挫折の末に生み出した、
世界をも凌駕した驚異的な「京都並河」作品の数々。
その過程やドラマをも肌で感じることができ、非常に貴重な体験でありました。

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本日の参考文献:
並河靖之 七宝 明治七宝の誘惑-透明な黒の感性」図録(定価2700円/税込)


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お客様からの素敵なお葉書

カテゴリー/育児・子供くまねこ堂通信


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以前アマゾンを通して、当店から商品をお買い上げいただいたことがご縁となり、
時折お葉書のやりとりをさせていただいているお客様がいらっしゃいます。

いつも可愛らしい猫の絵ハガキを送って下さるのですが、
今回はまた一段と嬉しいメッセージも添えて下さり、
思わずブログでも紹介させていただきたくなりました、
本当にどうもありがとうございます!

実はパンダ子(娘・3歳になりました!)が、
以前までは幼稚園に行くのをはりきって楽しみにしていたのですが、
1ヶ月ほど前から「お母さんと離れるんだ」ということを認識したようで、
「パンダ子ちゃん、寂しくなっちゃうの・・(;;)」と言って
入園を不安がるようになりました。

ちょうどそんな折にこの絵ハガキをいただきまして、

「ほら、猫ちゃんも幼稚園行きたいんだよ、
 パンダ子ちゃんをうらやましがってるよ~!(^^)」
「そっかー!:epuron:

パンダ子は、絵ハガキを大切な「アンパンマン ファイル」にしまって、
毎日のように取り出しては眺めています。
子供ながらに、励まされるようです

でもきっと、入園すればあっという間に
お友達や先生と楽しく過ごせるようになるのでしょうね。
私自身も、楽しみと不安とでドキドキですが、
親子そろって楽しい幼稚園生活が送れるよう、がんばりたいと思います:ganba:

K様、このたびは粋で素敵なお葉書を、本当にどうもありがとうございました!
ずっと大切にさせていただきます:kaomoji1:


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六義園に行ってきました!

カテゴリー/レジャーくまねこ堂通信


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先日、「六義園」(東京都文京区)に行ってきました、
いやもう本当に素晴らしかったです!

六義園は、五代将軍綱吉の側近として活躍した
柳沢吉保(やなぎさわ よしやす、1658~1714年)によって造られた、
現存する江戸の大名庭園中、日本屈指の名園として知られています。

入り口を入るとまず、有名なしだれ桜がお出迎えです。
私が行った日(3/25)はまだ咲き始めという感じでしたが、
それでもやはり美しかったです
(「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」は4月6日(木)まで開催中!)

 

しだれ桜を横目に見ながら奥に歩を進めると、
突然目の前に見事な大池泉が広がり、思わずため息がこぼれました。

 

そこでは江戸時代さながらの静かな時間が流れており、
しばし平成の都心にいることを忘れてしまいそうでした。

 

大老格にして文学や芸術にも大変造詣が深かった柳沢吉保は、
7年もの歳月をかけてこの地に造園し、和歌の心を表現しました。
園内を歩いていると、所々にこうした古い石柱が建っていることに気が付きます。

これは、吉保が定めた庭内の景勝地「六義園 八十八境」を表します
(現在では32ヶ所のみ現存)。
ほとんどが和歌の名所にちなむものですが、
「八十八の名称は、たんに地名やモノを指す言葉ではない。
その背後に秘められたいわば言霊が、吉保にとって何よりも大切だったのだ。
しかも当時の武士や貴族たちは、こうした言葉の背後に広がるイメージを
共有していた。大名庭園とは、そうした彼らの素養を基礎として造営された、
一大物語でもあるのだ。」(「江戸東京の庭園散歩」より)

和歌の知識があれば、吉保の世界観をもっときちんと読み取れるのになあ・・
でも当時の吉保たちほど和歌の知識がある人は、
もう日本中探してもどれだけいるのかな・・と思うと、
なんだか寂しくなってしまいます。

 

こちらは「滝見茶屋」から見える石組で、ワニのような形の石が印象的です。

 

 

「吹上松」と呼ばれる松の木です。
園内では至る所でこうした名木を見ることができ、
枝ぶりの一つ一つがまるで日本画の名画を見るが如き美しさでした。

 

 

これはキブシという木でしょうか、まるで細長いぶどうのような実が
たくさん垂れ下がっていて、面白かったです。

 

散策していると、ふとこうした橋も出現します。
日本庭園の橋はこうして反った形(反橋(そりばし)といいます)であることが
多いのですが、
これは池泉を航行する船の邪魔をしないという実用的な目的だけではなく、
「俗なる世界から聖なる世界へ移行する一種の結果の役目がある」のだそうです。

 

 

「藤代峠(ふじしろとうげ)」は、園内で一番高い築山で、
紀州(現在の和歌山)にある同名の峠から名づけられています。

 

 

藤代峠の頂きは「富士見山」と呼ばれたそうですから、
きっと江戸の当時は富士山も見えたのでしょうね。
現在の展望はこんな感じです、六義園を一望することができ、
園内でも一番のビュースポットとなっています。

 

六義園は明治時代に入ると、三菱の創業者である岩崎弥太郎(1834~1885年)の
別邸となります。
そして昭和13年に、岩崎家から東京市に寄付されたのですが、
当時の「東京日日新聞」の記事がパネル展示されていて、
ちょっと面白かったので載せておきます。

井の頭公園、すごい言われようですが・・:kaoemoji1:
でもいずれにせよ、六義園が極力昔のままの優美な姿を残してもらえたことは、
本当に良かったと思います。

 

そうそう!最後に余談ですが、
六義園の正門の目の前には「フレーベル館」の本社がありまして、
1Fの直営ショップでは、ここでしか売っていないオリジナルの
アンパンマングッズがたくさんあって、
店内に入ったら思わず「うほうっ!!:hoshi1: 」
(小さく)叫んでしまいました!
アンパンマン好きのお子さんがいらっしゃるかたには、
ぜひぜひおすすめです!

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本日の参考文献はこちらです:
:nikukyu:「江戸東京の庭園散歩」田中昭三(著)、西田伸夫(写真)/JTBパブリッシング

 
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河鍋暁斎が残した絵日記

カテゴリー/くまねこ堂通信


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昨日一昨日の記事で「これぞ暁斎!ゴールドマン コレクション」展を
ご紹介させていただきましたので、それにちなみ、
河鍋暁斎に関する面白い本を1冊ご紹介させていただきます


「河鍋暁斎絵日記 江戸っ子絵師の活写生活」
河鍋暁斎記念美術館編/平凡社コロナ・ブックス

暁斎は1870(明治3)年から絵日記を付け始めたといわれており、
明治3年~亡くなる直前まで約20年間にわたって
絵日記を描いていたはずなのですが、
現在発見されているのはわずか4年分ほどしかないのだそうです。

なぜかというと、
「この『絵日記』に描かれている人々は、毎日毎日おいでになる方々の
似顔ですから皆さん面白がって、一ヶ月待てず奪い合いで買われますから、
バラバラになって、今どうなったやら・・・」
という暁月(暁斎および暁翠(暁斎の娘)の弟子)の証言にある通り、
絵日記は暁斎が描いたそばからどんどん人手に渡ってしまったのですね!
死の直前でも、国内外から三百点もの注文が溜まっていたという
暁斎の人気絵師ぶりが、ここからも伺えます

暁斎は絵日記に、その日の出来事や来客などの日常生活や、行事や事件、
物の値段や日々の天候といったことまで事細かく記録しており、
時代風俗資料としても非常に興味深いのですが、
当記事ではやはり骨董屋らしく、絵日記に登場する骨董に関する人物を
取り上げてみたいと思います:hoshi1:

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右のおじいさんは狩野永悳(かのうえいとく、1815~1891年)。
狩野宗家中橋家の第15代であり、明治11年に来日したフェノロサに日本画を指導、
明治23年には帝室技芸員に任命されました。

上図は、暁斎が永悳に古画を見せてもらっているところだそうです。
こうやって貴重な古画を見せてもらい、暁斎は勉強していたのですね。

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「石川光明先生がヨウカンを持ってやってくる。」とあります。
わあ~、すごいな、光明だ!

彫刻家・石川光明(1852~1913年)は、明治時代に人気があった牙彫における
第一人者で、1890年に帝室技芸員に任命されています。

高村光雲「幕末維新懐古談」という本の中で、光雲は光明のことを、
「いかにも人ずきの好い人。既に一流の大家でありながら、それでいて
言葉使い、物腰、いかにも謙遜で少しも高ぶったところがない。」
と述べていますが、上図の光明氏を見ても、いかにも心優しく穏やかそうですね。

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「弟子の海野(美盛)が年賀に卵とハラゴ持参。」とあります。
へえ、海野美盛は暁斎の弟子だったんですね!
美盛は水戸出身の彫金師・日本画家です。
(でも初代と2代がいるようなんですが、どっちなのかな?)

ちなみに石川光明も海野美盛も、当店で実際に作品を扱ったことがあるので、
こうやって絵日記で見られてなんだか嬉しいです(^^)

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ジョサイア・コンドル鹿鳴館旧岩崎邸などを設計したイギリス人建築家)。
暁斎は毎週土曜日、コンドル宅へ出稽古に通っていました。
コンドルは正座が苦手だったようで、こうして寝そべったり、
中腰で描いたりしている姿が絵日記に出てきます。
しかしついには胡坐をかいて扇子にスラスラ描いてみせるまでに上達したそうです。

コンドルは暁斎の愛弟子として「暁英」の号をもらいました。
暁斎の臨終の際にも立ち会い、国を越えて深い師弟の絆を結んだことで
知られています。

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最後に、暁斎が亡くなるひと月ほど前に描いたという
絵日記をご紹介して終わりたいと思います。
病に侵された死の間際でもなお、描くことをやめなかった暁斎。
本当に描くことが好きで好きでしょうがなかった「画鬼」の姿が伝わってきますね。

 


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「これぞ暁斎!」展、続きです

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昨日はついつい脱線してしまいましたので:lol::ase1:
今日はテンポ良くご紹介させていただきます、
これぞ暁斎!ゴールドマン・コレクション」展、続きです!


「動物の曲芸」河鍋暁斎/明治4~22年 紙本着彩

暁斎といえばやはり、動物たちを擬人化したユーモラスな戯画!
この絵では、ネズミ・猫・蝙蝠・モグラといった動物たちが、
おめでたい雰囲気の中で楽しい曲芸を披露してくれます。
個人的には、左上部で綱渡りをしながら三番叟を舞うコウモリと、
右上部で空中ブランコをするもぐらが可愛くて好きです:oops:
(私、てっきりうりぼうかと思ってたんですが(;^^)
図録の解説によるともぐらだそうです。)

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「鷹に追われる風神」河鍋暁斎/明治19年、紙本淡彩

この作品はジョサイア・コンドル鹿鳴館旧岩崎邸などを設計した
イギリス人建築家で、暁斎の弟子でもありました)の旧蔵品だそうです。

急降下する鷹と、猛スピードで逃げる風神様。
縦長の画面が効果的に使われており、実物を見ますと
ヒュッ!!と風が吹いてくるようなスピード感や
引き締まった臨場感を感じさせ、
あたかも鷹&風神様が風を切って動いているかのようでした!

それにしても風神様、神様ともあろうおかたが、
どうして鷹に追いかけられる羽目になっちゃったんでしょうねえ??:lol: 

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「鍾馗と鬼の学校」河鍋暁斎/明治4~22年 紙本着彩

鍾馗といえば鬼を退治する神様なわけなのですが、
この絵では鬼の先生になって授業をしています!
きちんと授業を聞いている鬼たちの姿は微笑ましく、
教材に使われている地獄関連の絵もユーモラスで面白いですよね。
しかし鍾馗が先生って・・怒らせたら怖すぎます:kaomoji3:

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「幽霊図」河鍋暁斎 慶応4年/明治元年~3年頃 絹本淡彩、金泥

あまりに有名なこの絵ですが、何度見てもこの迫力は・・
背筋がひんやりとします。

この絵は暁斎と親交があった五代目・尾上菊五郎に依頼されて描いた幽霊画で、
五代目菊五郎の家には、劇中幽霊に扮するため、代々おびただしい数の幽霊画を
蒐集していました。
そしてこの絵の顔は、暁斎の亡妻・阿登勢(おとせ)の臨終時のスケッチが
もとになっているといわれているそうです・・

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「石橋図(しゃっきょうず)」河鍋暁斎/明治3年以前 木版着彩、金泥

この石橋図では、力強く躍動感のある赤獅子(シテ)の舞と、
寂昭法師(ワキ)のすでに悟りを開いたような静かな表情の対比が
非常に印象的でした。

能・狂言を好み、大蔵弥大夫(狂言師)のもとで本格的な修行をし、
小さいながらも自宅に能舞台も持っていたという暁斎。
そんな彼だからこそ、このシンプルな絵の中に
仙境の世界を表現できるのかもしれません。


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「これぞ暁斎!ゴールドマン・コレクション」展に行ってきました!

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Bunkamura ザ・ミュージアムで現在開催中の、
これぞ暁斎!ゴールドマン・コレクション」展に行ってきました!:hoshi1:

幕末から明治を生きた天才絵師、河鍋暁斎(1831~1889年)。
数え年7歳(!)の時に歌川国芳の門弟となり、10歳より狩野派に学び、
19歳の若さで狩野派の免状を与えられて修行を終えました。
さらに土佐派円山四条派などの伝統的な日本画から
浮世絵や西洋画などあらゆる画法を研究し、「画鬼」と呼ばれるほど
生涯描くことに打ち込み、「描けぬものはない」と称された暁斎。
国内のみならず、当時から外国人の間でも高い評価を得ていました。

個人的な話で恐縮ですが、私にとって暁斎は、ちょっと特別な存在です。
まだ若かりし頃、(今となっては大変お恥ずかしながら)
美術=西洋美術、絵画=西洋絵画のように思い込んでいた当時の無知な自分に、
「えっ・・・日本画って、こんなに面白くてすごいんだ!?」と
最初に気づかせてくれたのが暁斎の作品群でした。
それ以来、絵画のみならず、日本の文化や芸術全般に
自分の興味がどんどん開いていったわけなのですが、
その最初のきっかけを作っていただいたわけで、
なので今でも、暁斎さんには感謝をしているのです

そんなわけで、好きな作品やご紹介したい作品は色々あるのですが、
中でも今回の展覧会の目玉はやはりこちらの作品ですね、
これから行きましょう!


「地獄太夫と一休」河鍋暁斎(明治4~22年 絹本着彩、金泥)

室町時代に堺(大阪府)の遊郭にいたとされる遊女・地獄太夫と、
一休さんこと一休宗純(1394-1481)を主題にしています。
地獄太夫はもともと身分ある出自でしたが、
家が没落し苦界に身を置くようになった原因は前世の悪行にあると考え、
自ら「地獄太夫」を名乗ったといいます。
ある時彼女は一休禅師と出会い、彼女の頭の良さに感心した一休は
自らの弟子にし、彼女は悟りを開いたのだそうです。

ユーモラスに踊る骸骨たち、
バックには落ち着いた水墨画風の屏風(月に秋草)。
そして地獄太夫の色彩鮮やかな着物の中には、赤珊瑚、七福神、
賽の河原の子供たち&それを見守るお地蔵様などが見えます。

 

そして骸骨の頭上で、ちょっと引いちゃうくらい(笑)陽気に踊り狂う
一休禅師など、一枚の絵の中に見どころ満載ですね!

 

ちなみに、おそらく今40代以上の人達には、
昔大人気だったアニメ「一休さん」の影響で
一休さん=とても可愛らしくて賢い男の子というイメージが
強いのではないかと思うのですが、
アニメのイメージとは違い、本物の一休さんは禅僧でありながらかなりの破天荒、
腐敗した権力への反骨精神にあふれた型破りの「破戒僧」でありました。

こちらが、室町時代に描かれた実際の一休禅師の肖像画です。
トーハクの解説にも「日本の肖像画中、屈指の出来映えを誇る。」と
ありますが、一休禅師の内面をも鋭くとらえていることを感じさせる、
独特の迫力がある肖像画ですよね。

「一休和尚像」室町時代(15世紀)/東京国立博物館

 

そうそう、最近では、
マンガ「鬼灯の冷徹」の21巻に一休禅師&地獄太夫が登場して、
嬉しかったなあ(笑)


(「鬼灯の冷徹(21)」より)

 

・・うわ~~しまった! 一休禅師&地獄太夫のことだけで
熱く紙面を割いてしまった!

次回の記事は暁斎の作品に焦点を戻し、ご紹介させていただきます!

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本日の参考文献はこちらです:

:nikukyu:「これぞ暁斎!ゴールドマン・コレクション」図録(定価2500円)
   Bunkamura ザ・ミュージアム / 東京新聞
   

:nikukyu:「探検!東京国立博物館」藤森照信、山口晃(著)/淡交社

:nikukyu:「鬼灯の冷徹(21)」江口夏美 /講談社
 


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信長の末弟・有楽斎が愛した椿の花

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先日、パンダ子(娘・2歳11ヶ月)と一緒に
皇居の東御苑をお散歩しておりました。

 

そこかしこに椿の花が咲いていましたが、
そんな中でもひときわ目を引いた、美しいピンク色の椿

 

パンダ子が、落ちていたお花を拾ってきました。
左の赤い「ヤブツバキ」は近所でもよく見かけますが、
右のピンク色の椿はあまり見たことが無く、
その美しく可憐な色に思わず見とれてしまいました。
名前は「太郎冠者」というそうです、
この清楚で可憐なお花と、狂言の太郎冠者の役どころとは
だいぶイメージの違うような気がしますが、
どうしてこのお名前なのかしら(^^)?

 

というわけで家に帰って早速調べてみると、この椿、
江戸では「太郎冠者」、京都では「有楽椿」と呼ばれており、
織田信長の末弟・ 織田有楽斎長益(おだうらくさいながます)
茶席の花として愛用したことに由来しているんですね!:hoshi1:
「へうげもの」のこの人です↓

有楽斎は、信長の弟でありながら戦国武将には向いていなかったようで、
若い頃より茶の湯をたしなみ、千利休に学んで
「利休十哲」の一人に数えられるほどの大茶匠となりました。

ところで愛知県犬山市の「有楽園(うらくえん)」という日本庭園に、
有楽斎が建てた茶室「如庵」が残っているのですね!
犬山市には何度も足を運んだことがあるのに
知らなかった・・・:body_deject:(←ひたすら「明治村」ばかり行っていた人)
次に犬山市に訪れた際には、必ず「有楽園」にも行きます!!

美しいピンク色の「太郎冠者」を手に取って眺めながら、
有楽斎も茶の席でこのお花を愛でたのだなあ・・と思うと、
400年の時を超えて心を共にできるような、
そんな感動をおぼえます

余談ですが、東京の「有楽町」や「数寄屋橋」の地名が
有楽斎に由来するという説が一般的に広まっているのですが、
実は有楽斎が江戸に住んでいたという確証は無いようです。
有楽町歴史絵巻 有楽-織田信長の弟が地名の由来?) 

————————————

本日の参考文献です:


「へうげもの 7」山田芳裕/講談社


「誰も書かなかった 日本史「その後」の謎」雑学総研/中経の文庫


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入荷品:中国、清末~民国の如意です

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くまきち(夫)はよく、前日に買い取った物を
無造作に家のテーブルの上などに置いておくことがあります。
この日も、テーブルに不可解な物が載っているのを
パンダ子(娘・2歳11ヶ月)が早速見つけ、

「これ、なあに?:epuron:

「これは中国の如意(にょい)といってね、
 お坊さんが使う道具で、縁起のいいものなんだよ(*´ω`*)」

「そっかー!:epuron:

如意(にょい)・・
骨董屋さんの中でも、中国ものを扱う人しか知らないような
極めてマイナーな知識を2歳児に・・
ていうか私だって、実物を見るのは初めてですがな(;-_-)

ちなみにこの如意は堆朱で細かい細工がされており、
時代は清末~民国くらいのものと思われます、
日本でいうと明治時代くらいでしょうか。

ところで・・

注:先っぽのボンボン(?)は、遊ぶためのものではありません!! :kaomoji2::!!!:


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